深層心理の動き、つまり過去世のカルマの宿るのは、よい行為も悪い行為も含めてクンダリーニでいうムーラダーラチャクラだと言われている。ここに宿る深い次元の無意識が我々の人生を良くも悪くも作り出す。それを人為的に変えることは不可能である。風水、宝石、方位、択日等々諸々の開運法は既述のように飽く迄カルマの範囲内の開運である。宿命転換、人生に不可能はないなど戯言に等しい。そんな絵空事を言う人には質問したい。努力すれば誰でもオリンピックで金メダルが取れるだろうか。努力の価値は十分に認めるが、それは資質と運の範囲内である。身体強健、運動神経抜群、強靭な筋肉、こんな資質に恵まれた人が、人生のふさわしい年齢期に優秀なコーチに恵まれ、本人も厳しい訓練に耐え抜いて始めてオリンピックで金メダルが取れる。この厳しい訓練に耐え抜くことがまさに努力の価値である。本人が厳しい訓練に耐え抜く意思と実行力を持たない限りいかなる資質や運に恵まれても、勝利の女神はほほ笑むことはない。しかし、虚弱な身体、鈍い運動神経、弱い筋肉の持ち主はどうだろう。(そのように生まれてきたこと自体がカルマに他ならない)そういう人でも努力すれば体が丈夫になり人並にスポーツが楽しめ、同好会程度のスポーツクラブなら十分にやっていけるようになる。その程度にはなる。しかしそれ以上は無理だ。それ以上を望もうとしたらかえって身体を壊す、大きな怪我をする、徒労の努力で無駄な時間と金とエネルギーを費やすだけになる。人生だってこれと同じだ。私が「身の丈人生」を強調すると何か消極的で諦めを教えるように聞く人もいるかもしれない。そうではない。人生に努力が大切で、少々の困難で簡単に諦めてはいけないのは当然のことだ。但し、「努力の方向性」「努力の方法」「努力の時期」を間違えてはいけないということが言いたい。その正しい選択を優れた占術や腕のいい占い師は教えてくれるだろう。
いわゆる不幸な人生を歩む人はこの選択を間違えている事が多い。そもそも間違えている事自体を自覚していない。或いは間違えている事は分かっていても我執、煩悩、執着の為に方向転換ができない。人生修行とは色々の人生経験を通してそのことを自覚し執着を断つことであって煩悩にしがみつく事ではない。そういう自覚があってこそ占いのアドバイスが生きてくると思う。そもそもそういう人は占い自体を必要としない。