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トロピカル方式とサイデリアル方式

牡羊座の0度をどこに定めるかをアヤナムシャという。西洋占星術では、春分の日に太陽があるところを牡羊座の0度に定める。これをトロピカル方式と言う。しかし地球の歳差運動の為に春分点は毎年、すこしずつずれていく。紀元前の昔は春分点ば牡羊座にあった。しかし今の春分点は魚座にある。一方、インド占星術では、牡羊座のあたりを牡羊座と固定的に定める。これをサイデリアル方式と言う。サイデリアルとトロピカルは、ラヒリーのアヤナムシャでは23度51分ずれている

 

サイデリアル方式の中でもスタート地点をめぐっていくつかの説ある。一般的にはインド政府公認の「ラヒリ」アヤナムシャが用いられる。だが実はアヤナムシャにはこの他にラーマン、フェーガン、クリシュナムルティ、などのアヤナムシャがあり、ラヒリアヤナムシャと数度の差がある。

 

ところでトロピカル方式とサイデリアル方式でアセンダントの位置がずれることが気になる人がいる。それでどっちが正しいだの間違っているだのという議論を時々みかける。でも私から言わせるとトロピカルもサイデリアルもある条件のもとではどちらも正しいとしか言いようがない。サイデリアル方式のもとだからこそ成立する技法とトロピカル方式のもとだからこそ成立する技法とはおのずから異なる。要は両者を混同しない、或いはある部分だけをつまみ食いしないことだ。ジョンアディーのハーモニクスとはもともとナヴァムシャを中心とするインドの分割図からヒントを得たものである。分割図というサイデリアル方式の法則をトロピカル方式のハーモニクスという概念に翻訳しなおそうという試みである。しかもアディーは研究半ばで残念ながら亡くなったので、アディー調波は現在未完成状態にある。だからインドの分割図と西洋のハーモニクスとはまったく別の概念である。比較する方がおかしい。

 

私はこの問題を生前の石川源晃先生と議論をした経験がある。どうも西洋占星術側でサイデリアル方式というとイギリス人のフェーガンの方式をサイデリアルを代表するものと思いがちで、石川先生もそうだった。私は異なるアヤナムシャについて石川先生によく説明した覚えがある。そうしたらそこはさすが占星術界の大御所で思考に柔軟性がある方だと思った。私の説明のあとしばらく考えてから、そういうことならトロピカルとサイデリアルを混同して使用しないことが大切だと言い切ったことを今でも鮮明に覚えている。

 

実際に、インド占星術のアセンダントは性格と確かに書いてあるが、それは西洋で言う所のいわゆる性格とは意味合いがちがうと思う。意識レベルや表層的なものでなくむしろ深層心理レベルから湧き上がる行動=カルマ的要素を示すと思う。又、太陽が性格を示すことはない。それはむしろ月でみていく。西洋でアセンダントが射手座なのにインドではアセンダントが蠍座になる。俺はどっちの性格が正しいのかなどという見方はそもそも成り立たない。インドでは性格は月のナクシャトラでみるのであってアセンダントや太陽では見ない

 

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占星術における理論と実占
孔子の論語の中で「学んで思わざれば則ち罔(くら)し、思うて学ば座れば則ち殆(あやう)し」と書いている。何事も「学んでも考えなければ、本当にはわからない。考えても学ばなければ、[独断におちいって]まちがった方向性にいく」という意味だろう。

この諺はあらゆる学問技芸の習得にあてはまる。もちろん占星術の勉強にもあてはまる。占術や占星術の勉強をする人は2つのタイプに分かれる。一つはいろいろな占術書や占星術書を読み古典も読み技法には精通しているが、実占経験に乏しくまた関心もない。実占してみて当たらなければ、腕が悪いからと思わず知識量に乏しいと思う人達である。これは「学んで思わざれば則ち罔し」のタイプである。もう一つは興味本位でいろいろ鑑定をやるので実占経験が豊富でいろいろ臨床例をもっているが体系だって勉強していない。先人の書や古典など殆ど読んでいない。知識をため込むにしても他人のブログを読んで満足するタイプである。これは「思うて学ば座れば則ち殆し」タイプである。私見ではインド占星術を勉強する人はどちらかというと前者の人が多いような気がする。体系だって勉強しながら豊富な鑑定経験を積もうとする人はほとんどいない。

科学的研究と称するにはその「方法論」が大事になってくる。普通「科学的」というのは仮説をたて実験によってその仮説を検証し、誰がやっても再現性が可能な理論を打ち立てることをいう。占星術でいうなら以下のプロセスを辿ることであろう。

仮説を立てる=結局は、先人の研究成果や古典理論をもとにする。
実験を行う=人々や社会現象のホロスコープを数多く見て仮説検証を行う。
理論を立てる=再現可能は占術理論や技法をうみ出す。
新たな仮説を立てる=再現可能な占術理論をもとに更なる応用研究を行う。

まあこんな手順を繰り返すのだが、実際を考えてみるとこれらを厳密な意味で実践するのは不可能に近い。先人の研究成果や古典と言っても膨大なものがあり、それらを読むだけでも大変である。仮説の検証といっても、占術における理論体系化とは一体何であろうか。統計的研究なのか、事例研究なのか、実際現象の正確な観察なのか、研究の方法論はさまざまある筈である。そもそも占術理論の再現性とはなんだろう。なにをもって再現性が高いというのだろう。これもその方法論は確立していない。これらの一部分の分野を絞り込んだ研究でも現実的にはよいのではないかと思う。

これらの方法論が確立するまでは、占いが科学的などということはありえない。またそれが確立されるまで無責任な鑑定などするなということになると占術業そのものが成り立たない。そもそも占いが「科学的」などということがあるのだろうか。いくら厳密に研究しても占術や占星術からオカルト色や神秘色を払拭することはできない。逆に言えばできないからこそ「占い」というのではないだろうか。

現状は仮説をたてるどころか、どんな仮説があるのか外国文献を紹介する位の事しかできていない。それも部分的にだ。占術はいまだ翻訳文化の域を抜けていない。明治日本が盛んに行った海外文化の翻訳の後追いをしている。つまり方法論的には200年は遅れている学問分野なのだ。その癖、観察や経験にもとづく臨床研究には否定的である。観念論者の多い占術研究者はこうした研究を「時期早尚」等と称して軽蔑する風潮すらみられる。そうではないだろう。定性的分野の研究方法論は今もどんどん進んでいるのだから、占星術研究にその方法論を大いに取り込むべしと考える。研究方法の違いの論争すら許さぬ権威主義こそが占星術進歩の弊害である。

※「サイエンスは定量的な結果を出すものですよ」なんてさっそくどこかの御仁がほざいているが、これだから思考の幅の狭い技術屋は困る。占いはサイエンスを志向したとしてもあくまで人文科学社会科学に属する。その分野は定量化が容易な問題と同時に目に見えない単純に定量化できない事象をも扱う。そういう分野には定量化とはちがう独自の方法論がある。
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インド占星術学習者の特徴〜ラオの危惧は杞憂〜
 個人や占いスクールにインド占星術を勉強に来る人は、他の占い愛好者とは違う特徴があるように思う。占いをやる人はたいてい他の占いも勉強しているものだが、インド占星術を勉強に来る人はそれ一本で専門にやろうとする人が多い。それから同じ占星術でも西洋占星術に興味をもたないし、その逆に西洋占星術をやる人もインド占星術に興味をもたない。

更に言うとプロの占い師になろうという人も少ない。プロの占い師も習いに来るのだが、少し勉強すると半年や1年でマスターできるものではないことが分かってくるらしい。そうするとあっさりやめてしまう。インド占星術は難しいがよく当たるという評判はプロの占い師の中にある。そしてその割に見れる人は少ない。だからインド占星術を勉強して一儲けという気持ちで来る人はよくいる。だが、そう簡単にできるものではないと知ると早々にやめてしまう。4年も5年もかけて勉強する気がしないのだろう。やはりもっと手っ取り早く金儲けがしたいという気持ちが先行するようだ。私も講義の中で安直な宝石使用や開運技法等は薦めないし、remedyに関する講義は殆どやらないのであてが外れるらしい。だから私が教えた人の中にプロの占い師は殆どいない。安直な金儲けの手段としての学習者というのは残らない。

そもそもインド占星術は真面目に取り組んだら、少なくとも日本ではそんなに儲かるビジネス分野ではない。稼ぎたければ他の分野の職業を選んだ方が賢明だ。IT関連、修理工、技術コンサルタント、薬局経営、コンビニ経営、健康食品販売、弁護士等の専門職等々の職業に就いた方がよほど儲かる。儲けたければインド占星術師になるなど愚の骨頂だ。結論として言うと、ラオが危惧していることは日本では杞憂に近い。インド占星術心得の条などと隠密のようなことを言わなくても、インド占星術に凝る人は私も含めてみな貧乏で世渡りは下手である。

インド占星術を勉強する人で一番多いタイプはインド文化や思想の一環として習おうとする人達である。それはアーユルベーダ、ヨーガ、密教等に代表される。中にはインド料理やインド舞踊等から入ってくる人もいる。或いは鍼灸師、看護師等医療サービスに従事している人も多い。こういう人達はインド占星術の勉強をライフワークのように考えているので長続きするし、ラオが危惧しているような道は決して歩まない。よく分を心得ている。私にとっても教え甲斐のある人達である。

他の占術畑からインド占星術に興味をもって勉強に来る人は、四柱推命を始めとする命理系占術を勉強した人が圧倒的に多い。あとは同じ西洋占星術でも古典畑の人が多い。推命、古典はインド占星術同様に、論理的で緻密な構造を持っているしマスターするのに時間がかかるし、そういう細かい分析が好きな人にはなじめる占術と思われる。当然、彼等は金儲けというより研究の道を歩む。極めなくともそれなりに研究はできる。同じ占星術でも現代心理占星術のように、ある意味で曖昧でなんでもあり式の占星術をやった人にはインド占星術はなじめないものがあるのだろう。興味はもちつつも本格的にやろうとする人は殆どいない。変にスピルチュアリズムに走る人も長続きしない。あと周易をやる人とは意外なくらい相性はよい。

インド占星術の中で、占星術という象意をもつ惑星は水星と木星である。水星は分析力を意味し木星は道徳性を意味する。きちんとした分析力と高い道徳性を持たない人はインド占星術をやってはいけないということだろう。というかそういう人しか結果として残らない。

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UFOに誘拐された人達〜アブダクティーは真実か〜

UFOは未確認飛行物体と呼ばれる。一時期その存在をめぐってだいぶ騒がれたが、今は関心が薄れている。アメリカ空軍はかつてUFOとの遭遇事件に頻繁に出会ったので、UFOの存在についての調査を行っている。しかし、現在、アメリカ政府及びアメリカ空軍はその存在を頑なに否定している。だがこのように、頑なに否定されればされるほどかえってそこになにか隠された秘密があるのではないかという疑念も生じてくる。UFOについては、宇宙人渡来説、タイムマシン説、秘密兵器説、ねつ造、単なるいたずらとさまざまな説がある。

ところで、世の中には、コンタクティー或いはアブダクティーと呼ばれる人々がいる。この人達はUFOを目撃するだけでなく、宇宙人と接触したり誘惑された人々だ。ドライブ途中や自宅で不思議な光や円盤を目撃しやがて記憶を失う。気がつくと数時間たっていて別の場所にいる。しばらくして「大きな目の宇宙人の顔」といった断片的な記憶が脳裏に浮かんでくる。不眠やいわれのない恐怖感に襲われる。中には宇宙人と会話を交わしたり金属片を体内に埋め込まれたりする者もいるという。

しかし、これが真実なのか錯覚なのかの証拠は何もないUFOを見たこともなければ宇宙人と接触したこともない人々にとっては信じがたい一件である。


UFO
UFO写真(心霊写真と同様、捏造が多い)

こうしたコンタクティー或いはアブダクティーの経験者はアメリカには数万人いると言われている。そうした人々のホロスコープを得ることもできる。下図は、そうしたアブダクティーの経験者の一人のチャートである。

UFO誘拐者
アブダクティーの経験者のホロスコープ

上図はアブダクティーの経験者、それも母親と一緒に宇宙人と遭遇した人のチャートである。第6室の山羊座に月が在住しそこに土星、火星がアスペクトしている。サンニヤシヨガができている。その6室には木星、月のコンビネーションであるガージャケサリヨガができている。しかし、木星は減衰している。木星、月の支配ハウスもドゥシュタナが絡んでいるので品位は高くない。こうした場合、知的好奇心旺盛というよりつまらないあまり有益でないことにうつつをぬかす傾向がある。しかも木星減衰では心の安定性や道徳性に多分に問題をもつ

サンニヤシヨガができているので浮世離れした神秘好みの性質、能力を持つことは確かだ。月は12室支配で6室在住、木星は8室支配で6室在住となる。一般的にはヴィーパリータラージャヨガになるのだが、ここに凶星だけがアスペクトしたり木星が減衰したりしているので品位が高いとは言えない。だからこそこうした奇妙な神秘体験をするのだろう。神秘体験をするから霊性が高いと思うのは間違いで、高次元の霊性を持つ人は、幽霊だの宇宙人だのに悩まされることはない。

月、5室とも強く傷ついてはいないので、ひどい心の病ではない。精神病ということはないが、木星の傷つき方をみると嘘をついている可能性も多分にあるこれを見極めるにはナヴァムシャ、ヴィムシャムシャを同時に分析するべきだろう。こうした経験をもつ人のチャートを何人かみていけばそこに共通点が見いだせると思う。なお、母親を表す4室支配の土星が同じく母親を表す月にアスペクトしているので、宇宙人との遭遇に母親をも巻き込む結果となるのだろう。

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インド占星術と古典研究
インド占星術の勉強をして少し進んでくると必ず「古典」に対してどういう接し方をするかという問題にぶつかる。 インド占星術には数千年に及ぶ「時代の検証」を経て今日に伝わる技法・体系があるのでまずはそれらを学ぶのが筋ではないか?こういう考え方がある。これは筋ではある。しかし、こういう考え方だけにこだわっていたら、実際のリーディングの臨床訓練は進まないとも言える。

現在、日本語で書かれたインド占星術の本は少ない。本腰を入れて勉強するとすれば、英語でインド占星術の本を読まなくてはならない。しかし、インド占星術の英語本をそうスラスラとハイスピードで読むわけにはいかない。私は昨年は英語のインド占星術の本は結局ラオ系統2冊とPK関係1冊しか読めなかった。古典となると況してや読むのが遅くなる。

私のインド占星術学習歴はまだ10年に満たないので古典はそう多くは読んでいない。そんなに多くは正直言って無理だ。普通、日本人の場合、まずインド占星塾のテキスト、続いてラオの「赤本」青本」から入る。私もそうだった。赤本はもともとラオの自宅講義録のまとめであり、巻末に「Uttara Kalamrita」から引用された惑星とハウスの象意の表がつけられている。青本の源は「Laghu Parashari」から取っている。つまりラオ先生がそれらの古典を読んで、自分なりにいろいろ検証したことを掲載している。初心者でなく中級レベルの人が読んでもリーディング能力向上に資する本だ。ということは、直接的に古典を読まなくても、一連のラオ本をしっかり読み込んでいけば、一定レベルのリーディング能力は身につくということである。しかし、実際はそれだけでも大変なことなのである。ラオ本を全部読んでるかと聞かれたら、読んでいないと答えるしかない。

私が今まで読んだ古典は、前述の「Uttara Kalatamurita」と「Laghu Prashari」は完読、「Phala Deepika」は大体読んだ。「Hora Sara」を3分の1位、あとよく言われるBPHSBrihat Parashara Hora Shastra」は必要となった個所のみ拾い読みをしているに過ぎない。もちろんこれらは時間をかけて完全読破するつもりでいるが、それにどのくらいの年月がかかるかは分らない。言い訳けをする訳ではないが、研究以外に鑑定、教育、執筆等々の仕事があり、何よりも生活がある。別のライフワークもある。そこにだけ専念できる環境がなければ、実際問題とてもできる相談ではない。だからラオ、ラーマン、その他の優れた占星術家の著作を十分に読み込む努力をした方が効率的に研究は進むと思う。

よく古典重視を叫ぶ人がいる。それが大事なことは認める。しかし声高にそう叫んでいる人達が実際それをどこまで実行しているのかはなはだ疑わしい。インド占星術研究歴10年以上のごく限られた一部の人だけだろう。実際に読みこなしているかどうかは一連の質問で容易に判断できる。口先だけの古典重視論者の質問は実に馬鹿なというか硬直した質問が多い。殆どまともに答えるに値しない。多少は読んでいて知識はあるかもしれないが、実際のリーディングを知らない人達が実に多い。

それに古典と言っても実際に読んでみると、そこには占星術の法則や見方が確かに書かれているがそれだけである。具体的な見方や事例は殆ど紹介されていない。要するに古典は公式集にすぎない。公式さえ知っていれば問題が解けると思うのは間違いである。苦心して古典を読んでから、次にその検証を進めなければならない。こういう手続きは正統なアプローチかも知れないが、ジョーティシュの家系に生まれて少年時から研鑽を積んだ占星術家以外に時間的に不可能である。

別に私は古典を読むことを否定する気はない。ただ日本人の場合だと古典の理論吸収に終始して、実際のリーディングや一連の技法の当てはめ方を知らない人が多い。こういう人達は一連の質問ですぐに判断できる。話を聞いていると瞬間はよく知っているな、よく読んでいる人達だなと錯覚する。しかし、よく話しを聞いていると一部の偏った所にのみやけに詳しい知識を持っているか、その解釈のしかたが硬直して問題がある場合が多い。つまり全体にバランスのとれた体系だった知識をもっていない

たとえば、あまり聞いたことのないコンディショナルダシャーについてやけに詳しいが、ヴィムショッタリダシャーの具体的な読み方はできないという人がいる。そういう人に限って、私がそのコンディショナルダシャーを知らないと言うと「本多は勉強していない。それでもプロか」と得意気になって言う。古典が大事だと言うのなら、そういう本人がどうして古典を翻訳して紹介しないのか不思議でならない。古典なら翻訳しても人類共通の財産なのだから著作権に反することはない。つまるところ実際はたいして深く読んでいないのだろう。裏でこそこそと人の批判するしか能がないとは困ったものだ。そういう人は自己を表現する場である自分のブログ一つもっていない。だからでっかちで実際のリーディング経験に乏しい人になるのだ。

私は古典は嫌いどころではなくそのすっきりした体系は大変好きだ。嫌いなのは、実際に古典を読んだこともないのに古典古典としたり顔をする連中や実践経験が乏しい癖に瑣末な理論ばかりふりまわす輩が嫌いなのである。古典をよく読みこみ、実際のリーディング能力も高い占星術家にもし出会ったら、当然尊敬を払う。そういう人は他人の挙げ足をとるようなことはしない。

前述したようにそれは決して容易な道ではない。
古典、理論、実際のリーディングと進めていくには、もっと効率的な方法で学習しないと、私も含めて普通の能力の人では無理だと思う。古典を基礎に据えることはいいが、占星術研究の方法はもっと多様なやり方があっていいのではないだろうか。
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インド占星術とマルティメディアの活用
最近売行きが順調であるipadやiphoneにあるandroid用のフリーソフトの紹介をしたいと思う。インド占星術は他の占術にない精緻な構造と的中率を誇ると自負しているが、一つだけ弱点がある。それは他の命理系の占術にも共通している点だが、機動力に欠けると言う点ある。手相、人相のようにその場で質問された時、エフェメリスもパソコンもなしにその場で即座に答えることはできない。この点を解決しようとしたかどうかは知らないが、ある東洋系の先生で干支の萬年歴を諳んじている達人もいる位である。一部のマニアの意見では、インド占星術は論理的にホロスコープ算出の計算をし、出来上がったホロスコープもじっくりと見ていってこそ、本来の力が発揮できると言う。確かにインド占星術はコンピュータで簡単に打ち出して、その場でスイスイというようなお気楽占いの性質はもっていない。いくらインド占星術のソフトを使ってチャートが簡単に打ち出せるからと言って、占いブースやスピコン等でその場で短時間で占うことには疑問がある。そういうインスタント占いには不向きの占術である。

だが、インド占星術はカルマを重視する占術である。そのことは特に身近な人間との関係性によく出てくる。「父が早く亡くなったので父方の叔父からずいぶん可愛がられて育った」というような話を聞く時、本人とその叔父との関係性を知りたいと思う時がある。そんな時、簡便にその場でチャートが打ち出せてちょっとしたチェックができると便利なんだがなと思う時がある。相性にしても、本人だけを見る場合でも、恋人や不倫相手の簡単なチェックができればいいと思う時がある。もちろんじっくり見る時は、別途鑑定料はいただく。チャートは簡単に打ち出せても、リーディングという行為はかなり時間とエネルギーを消耗するので、無料で関係性をみるという意味ではないから、その点は誤解しないでいただきたい。

そんな時、アップル社から最近発売されたiphone系のメディアを使うと簡単にホロスコープが出せるようになった。

jyotishtool.jpgjyotishtool2.jpg私が使用しているのはsony-eriksonのXpreiaであるが、ここのマーケットからフリーソフトのjunior jyotishが簡単にダウンロードできる。ある程度の機能が欲しければ、android系のアプリから900円弱の有料で入手することになるが、簡単な機能だけでよければ無料でダウンロードできる。有料ソフトの場合は、北インド式・南インド式両方のチャート、分割図、プラティアンタラダシャーまでのヴィムショッタリダシャー、惑星のサイン上の位置まで見ることができる。GSP機能で位置計算を事前にしておけば、ホラリーもできるし、別のソフトを使えば、ラオ系と系統の違うKPのホラリーチャートも即座に打ち出せる。

これを上手に使うと間違いなく機動力とスピードが増す。その場で見聞きした誕生日やイベントデータなどをその場でうちこんでおくと後でじっくりチャートの分析をする時に活用できる。これによって占星術の研究が雑になり阻害されるのなら問題だが、むしろ豊富で的確な情報が迅速に確保され、効率的に研究を推進する一助となる。
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インド国際コース(4)よもやま話その2〜ロシア人と私〜
毎日8時間15日間続けての勉強はさすがにきつかった。特にインド英語には参った。向うの英語が分からないしこちらの英語もわからない。私は普通、ネイティブと会話をして分からない通じないということはない。だけどインド英語は勝手がちがった。この点で最初苦労したけど、後半の4〜5日頃になるとようやく耳が慣れてきて教師や受講生達とかなりやりとりができるようになった。そうしたらあなたは講義内容をよく理解していると主催者側から評価されて、日本人の参加者の中では私が一番評価がよかった。だけど他に日本人の参加者もちゃんと内容は理解していたと思う。日本人が海外留学などするときっと同じような問題が起こるのだろう。
 
私がインドでベジタリアンになったというのは単なる偶然である。デリーの地図を頼りにたまたま予約したホテルが現地に来てみたら学校から遠い場所だったので、学校の担当者の勧めでもっと学校に近い場所に変えることを勧めてくれた。ところが急なことだったたので適当なホテルがなく、しかたなく安いホテルに泊ることになった。そうしたらホテル内にレストランはないしシャワーも水しか出ないとんでもないホテルだった。日本人はいくら安くてもこういうホテルには泊るものではない。しかし、安ホテルという話を学友のロシア人3人が聞きつけて、私と同じホテルにわざわざ移ってきたのである。それでホテル内にレストランがないので、そのロシア人達を食事に行こうと誘ったら、自分達の部屋で食事を作るから、MR.Hondaiよ、私達の部屋に来ないかと言われた。私はてっきりおいしいロシア料理でも食べられるのかと思って(これが甘かった)、ロシア人の部屋を訪れたのである。ところがこのロシア人達はなんとベジタリアンであった。出てきた食事は基本的に野菜ばかりであった。やっぱりロシア人でインド占星術を外国まで来て勉強しようなんて人は相当変わり者だ。(この際自分自身の事は棚にあげておく)或いはロシア人の癖に正教会のクリスチャンではなく、ヒンズー教徒であったりした。ロシア人でインド占星術を学ぶ人はこういう人達が多いらしい。

ロシア人ロシア人の兄弟ナージャとジィーニャ。彼等は姉弟で参加してきた。ナージャさんは英語教師で、ジーニャさんはマッサージ師である。ジーニアさんはネイティブスピーカではないが標準的学校英語を話す人なので私にとってコミュニケーションがとりやすい人であった。私はこの2人といつも一緒であった。個人的には日本人とロシア人は気が合うように思う。

しかし、
うっかり外で食事をすると下痢を起こすし、ホテル内にレストランはないし、部屋で自炊するのも授業で疲れきって面倒くさいし、結局、彼等とつきあうしかなく約2週間ベジタリアンで過ごした。過ごしたと言うよりそうするより他に方法がなかった。一緒に生活してみて分かったのだが、ロシア人が実につましい貧乏な生活をしているのに改めて驚いた。本当にお金を使おうとしない。でもいわゆるケチではない。そうして節約したお金で、背広を作ったりサリーを買ったりしてするのだ。その買い物にもだいぶつきあわされた。

olga.jpgオルガさん。彼女は何とヒンズー教徒である。それがインド占星術を学ぶ理由なのだそうだ。彼女は上の2人よりだいぶインド占星術の勉強は進んでいて、ラオ先生のお気に入りだった。「オルガ、オルガ」と言ってえらく可愛がり、ラオ先生のご寵愛を一身に受けていた。

昼はインド英語の講義で夜はベジタリアン。(昼に学校でだしてくれる食事だけがどうやら救いであった)そんな毎日続けていたら、最後の2〜3日位は頬がこけてきてしまった。日本人の学友には「難行苦行」に来たみたいだと愚痴をこぼすしかなかった。それは本多さんのカルマがそれだけ浄化されたいうことだよ、などど冗談を言われたが、確かに宗教的修業をする時、無言の行と食事制限をするのはこのことなんだなとふと頭をよぎった。
 
でもまあ、そのロシア人達はみんななかなか気のいい人達で、夜は腹ペコなのを除けばけっこう楽しい時間も過ごせた。私がちょっとロシア語で歌を歌ったらびっくりして、You are a great singer like Shariapin(シャリアピンというのは昔のロシアの有名なオペラ歌手である)と言われて次は日本語の歌を歌ってくれと言われたので、今度は日本語の歌を披露したりした。朝もいつも彼等と一緒に通学していたので、日本人の学友よりむしろロシア人達と親しくしていた位である。でもさすがに、北方領土問題の話はお互いにしなかった。でも話によるとロシア人はドイツと日本いまでも恐れているというようなことを言って言った。

それとベジタリアンの生活をしたおかげでよい副産物もあった。帰国後、どうも腹の調子が悪いのでいつも行く人間ドッグの
医者の所に行ったのだが、なんと血液の値がものすごくよくなってた。血圧、血糖値、コレステロール値、心拍数すべて良くなっていて、医者からは「これはいいや。本多さん毎月1週間位、ベジタリアンの生活をすると長生きできるよ」等と言われた。
 
インドにおける占星術のスタンスは日本のそれとはまったく違う。ヒンズー教は転生輪廻を基本とする教えで、インド占星術もこの思想と強くリンクしている。インド占星術師のカーストは司祭階級のバラモンに属していて、教えてくれた教師も高級官僚、医師、会計士、法律家、数学者等々みな知的職業に従事している人達ばかりであった。日本のように占い師というと売卜者として賤業扱いされるのとはだいぶ違う。そういうクラスの占星術師に鑑定してもらうと向こうからお金は請求しない。日本でお坊さんにお経をあげてもらっても向こうからは何も請求しないのと同じである。しかそこは常識の問題で、ちょうどお坊さんになにがしかのお布施をあげるように、見てもらった人は自主的にそれなりのお金を置いていく。だけどそう高額ではないようだ。

もっともインチキ占い師はどこに国でもいるようで、困ったもんだと言っていました。日本人がインドに旅行すると、よくインド占星術をみてもらうらしいが、鑑定の後で開運のためにと高額の宝石を勧められることが多いようだ。当然のことながら裏で占星術師と宝石商人が結託している。さすがは世界に名だたるインド商人である。インド人の聖なるものへの敬虔な姿勢とこうした逞しい商才というのはまったく矛盾している。こういう混沌さがまさにインド文化の魅力なんだろう。

街中はよくなったとはいえやはり汚いです。相変わらずお貰いをするストリーチルドエンがいる。彼等の裏にはマフィアのような組織が当て子供達を使って金儲けをしているのだ。学友のロシア人が余ったお釣りを
ちょっとそのガキどもあげたら、もう次から次へと子供達が現れて振り切るのが大変であった。目的もなくただインドに来た人はきっとインドが嫌になると思う。でもインドに何らかの精神文化を求めてきた人は、その魅力に取りつかれる人もいるだろう。私も無目的でインドに行ったとしたらきっとインドが嫌になると思う。なにより食事があわない。
 
インドにおける占星術とはちょうど日本の神道に当たるような気がする。神聖なものであると同時にインド人の生活に根差している。日本で子供が生まれると。神社に連れて行ってお守りのお札をもらったり、七五三を祝ったりする。それと同じように、
インドで子供が生まれると、両親は子供を占星術師の所に連れて行ってその子の将来を占ってもらう。ヒンズー寺院に行くと僧侶とともに必ず占星術師がいて人々の諸々の人生相談に応じている。昔の日本が地域社会の人間関係の中心に神社とその氏子はいたようなものだろう。結婚の時も、新聞雑誌等に自分のホロスコープを出していろいろ条件を示し、これと合うホロスコープの持ち主と結婚したいから申し出て欲しいなどということもめずらしくない。
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インド国際コース講義(3)よもやま話その1
15日間の強行スケジュールの研修を受けているとその間に講義以外のいろいろ面白いエピソードが生じる。

ラオ先生はもちろん第一義的には占星術師なのであるが、同時に熱心なヒンズー教徒でもある。「もし若かったら何をしたいか?」とのある人の質問に、彼は躊躇なく「瞑想」と答えた。講義期間中、毎週水曜日になると受講生はラオ先生の家に呼ばれて、マントラを唱える儀式に参加した。参加したというよりとにかく嫌も応もない。講義が終わったらそのまま事情も知らされずそのまま車でラオ宅に向うのである。ラオ宅に入ると30人くらいであろうか、みな熱心にマントラ(真言)を唱えていた。みなで2〜3時間熱心にあるマントラを7回繰り返し唱えるのである。何のマントラであるかは覚えていない。言葉はもちろんサンスクリット語であるのでどういう内容かも分からない。帰国後にインド関係の専門家や情報で調べたら、ヴィシュヌ神を讃える詠唱らしい。

ラオ先生
ラオ先生と並ぶ筆者

ラオ先生は観念論的なこちこちの古典原理主義者ではないが、古典の記述を尊重する方である。だからインド占星術と宝石を絡めることに否定的である。理由はインド占星術の代表的古典であるBPHS(ブリハットパラーシャラーホーラシャーストラ)に宝石の記述が一切ないからである。その代わり、マントラを唱えることによって惑星の凶暴さを鎮める効用については書かれてあり、ラオ先生もマントラを唱えることの効用には肯定的である。現に日本人の参加者がラオ先生に鑑定を依頼した時、そばで聞いていたが鑑定後に特定のマントラを指定し、これを毎朝30分以上唱えるように勧めていた。そうすれば完全というわけにはいかないがある程度は、惑星の凶暴さを鎮められるだろうと言っていた。

ラオ先生は直接接してみると、権威ぶらない非常に気さくな方である。そして欲がない。鑑定料を自ら請求することはない。ただ信者さんがお布施をおいていくような意味合いで、見てもらった人が自主的においていくだけである。日本人のインド占星術愛好家が予告もなしにラオ先生の家を突然訪れて鑑定依頼したという話はよく聞く。きっとこういう先生だから門前払いすることもなく快く応じるのだな思った。余談であるが若い女性の受講生をとても可愛がるし、やはり普の男性だなという印象をもった。もちろん肯定的な意味においてである。

ラオ先生の講義はどの先生の講義もすばらしいのだがとりわけ切れがある。英語も特にうまいとは思わないが、と言ってさほど分かりにくいこともない。耳を澄ませばなんとか分かる。講義中扱う人物は殆どがインド人かイギリス人であるが、唯一でてきた日本人のチャートは昭和天皇ヒロヒトである。昭和天皇の分析はなかなか面白かった。ラオ先生がとくとくと語った神風特攻隊についての知識はほぼ正確である。どうもインド人は一般的に親日的らしく第2次世界大戦の時の日本の立場にも理解がある。というのもそれが間接的にインド独立に貢献しているからである。

ラオ先生は2010年12月現在で79歳である。現在のダシャー期がよいせいもあってかとても元気である。しかしそうは言っても、この年齢で2日連続での3時間以上の講義は疲れる筈である。その最中でも鑑定依頼や研究発表もある。日本文化のことにはさほど詳しくない。しかし、日本の民間医療である鍼灸治療の事についてはよく知っていた。

鍼灸
気持ちよさそうなラオ先生

たまたま日本からの受講生の中に、京都の鍼灸師さんのSさんがいた。それを知ったラオ先生は前述の通りきさくな人であるから、水曜日のマントラの儀式を終了後、さっそく針をうって欲しいといことになった。これが上の写真である。Sさんはラオ先生の写真を撮った時に、白髪の髭で顔が覆われている所から「ラオ先生ってサンタクロースみたい」と面白いことを言っていた。なるほど、言われてみればインドのサンタクロースだなと思う。

針をうっている所をみたインド人や世界各国からの受講生は、みんな珍しそうに見ていてたちまち人だかりができた。インドには鍼灸はないそうである。医療行為はケートゥの象意である。インド占星術を学ぶ者は、さすがに鍼灸について妙な偏見をもつ人はおらず、その治療原理についていろいろ質問をしていた。私も肩が凝っているのでやって欲しいと言う人もいた。ラオ先生は痛がりもせず、気持ちよさそうに治療を受けていた。

追記:後で確認したら、この時のマントラはShri Vishnu Saharanamstrotam  Ramというものだそうである。
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15日間の講義をなんとか終えた。
バールティヤ・ヴィッディヤ・バワンでの講義を終えて無事日本に今帰ってきた所である。15日間休みなく8時間も英語で行われる講義はさすがにきつかった。学習上のきつさもあるが、生活環境がなじめないきつさもそこ加わった。私が宿泊したホテルが安ホテルだったので(ケチッタのではない。ある事情があってたまたまそうなっただけだ)、食生活に大きな問題が生じてしまった。食生活の不備からくる下痢や風邪等に悩まされながらの研修生活であった。私はインドにきて心ならずもベジタリアン」の生活を強いられる羽目になり、まるで「難行苦行に来たみたいだ」と日本人の研修生に愚痴をこぼしたものだ。たまたま一緒に学んだ日本人の占星術仲間はちゃんとしたホテルに泊っていて食事には不自由しなかった筈なのにやはり下痢や風邪に悩まされていた。

ラオ先生1
ラオ先生の講義風景

講義の中で一番勉強になったのが、ラオ先生の「ジャイミニチャラダシャー」と「11室の解釈をめぐる事例研究」であった。ジャイミニの講義の中には、最新の研究成果の内容も含まれていて、なるほどと思う内容であった。11室の解釈をめぐる研究も豊富なケーススタディに裏づけられたものである。こういう研究が日本でも進められたらいいと思うが、日本の占術業界の実情を思うと難しい。こういう真面目な研究をしても、それを正当に評価する研究風土、発表の権威づけの場がなければ誰もそれをやろうとはしない。真面目な研究をしてもただパクられるだけで、それによって生活ができるわけでもなければ誰がそれをするだろう。「日本インド占星術学会」というような権威ある団体ができるといいとつくづく思う。そこで真面目な研究をする人の権威と生活を支えるしくみができればそれは実現する。私はラグナロードが射手座にあるので、個人的にはその実現に向けて動きたい気持がある。だが、占い愛好者はとにかく個性が強く個人レベルの行動しかしない人が多い。その実現に向けて大同団結をすることはまず不可能だろう。

基礎理論や占星術に必要な基礎計算の講義もあったが、そうした技法は日本にいてもしっかり本を読みこめば理解できる。この点では特に新鮮味はない。もっともそうは言っても、こういう緻密な計算から積み上げていくやり方もお遊び気分の日本の占術業界では欠けている点の一つだ。だが、やはりそうした基本技法の使い方、優先順位の付け方、統合的な判断のしかた(それが一番大切な点だ)を権威ある先生から手ほどきを直接受けた点が一番役に立った。それは師から直接手ほどきを受けなければれば学べないものだ。それから各国から受講参加者のホロスコープを私も含めてすべて晒し、いろいろと分析予言を加えた講義も面白くかつ役にたった。

講義を通じて感じたのだが、日本のインド占星術のレベルは世界的にみて決して低くないと思う。確かに翻訳書等が少なくてまだまだ情報不足の傾向はあるが(それは徐々に解決していくだろう)、基本的知識はちゃんと押さえているし、それらについての検証努力も、まだ熱心な一部のジョーティシュ研究者個々人のデータベースの中でしかないが、それなりにされていると思う。他の占術分野とちがってインド占星術に関してはあまりいかがわしいものは定着していない。一方、インド人受講生は講義中によく講師の発言を遮って発言する。だからよほど自信があってよく理解していると思われがちだが、よく耳を傾けてみるとたいしたことは話していない、話があちこちに飛んで自分の知識自慢をしていることが多い。

その点、日本人は言葉の問題もあって口数が少ないので、講師陣に我々が基本的知識すら分かっていないのではないかという誤解を当初もたれたようだ。自分が日本で教えている基本的内容レベルのことを分かりにくいインド英語で説明されて、You,got it ?(分かるかね)と何度言われたことだろう。最初、マルガリーという言葉を連発されて何のことだが分からなかった。分かるわけがない。Mercury(水星)のインド訛りの発音だ。(これがインド英語なるものの正体なのだ。しかし、堂々としゃべ利続けるとそれが既成事実化し市民権を得るのだ) アマティアカラカは、私の耳ではマティカラカとしか聞こえない。それで怪訝な顔をすると、ジャイミニの基礎が分かっていないとインド人は思うようだ。とにかくそんなことの連続だった。だが一旦自分の考えを英語でまとめてそれなりの質問をすると、それを聞く前と後では講師陣の態度が明らかに違う。日本人はやはり他の分野と同様に、占星術の分野でも英語力の不足と謙虚さの為に相当損をしていると思う。

だいぶ疲労がたまっているので今日はこれで寝るが、学校の様子、講義の概要、その他いろいろ気がついた事柄について書いていこうと思う。

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劉暁波〜2010年度ノーベル平和賞受賞者〜
中国の反体制派作家の劉暁波氏が2010年度のノーベル平和賞が決定した。中国人初のノーベル賞受賞者であるにもかかわらず、中国共産党政府にとってはまことにゆゆしき出来事である。人権、民主化、思想言論の自由等今の中国政府にとって最も耳の痛いことを主張している人物が、しかも刑務所で暮らす政治犯がノーベル平和賞を貰ったのであるから中国政府にとっては大きな政治的屈辱である。

劉顔写真
劉暁波氏

例によって、いまだ時代遅れの19世紀的覇権主義的外交しか展開できない中国政府は、ノルウェー政府に講義し経済制裁を加え、諸外国に表彰式に代表を送るななどという干渉を行っている。しかし、日本の媚中派とは違って諸外国はそんな中国をまともに相手をする気配はない。むしろ批判を強めている。

劉暁波
劉暁波氏のホロスコープ

劉暁波氏はやはり強い火星の持ち主である。火星はウパチャヤの11室に在住し強い防御力をもっている。又火星は太陽からみた5室である牡羊座にアスペクトバックしている。これは自己表現の激しさや勇敢さを物語る。

太陽からみた2室に金星がありそこに火星、土星、ケートゥがアスペクトしているのが、いかにも穏やかな反体制派の作家らしい特徴がある。土星はアスペクトバックで2室を強め、火星は激しい言論による攻撃力を意味する。しかケートゥがあるので、写真で見る通りあまり荒々しい印象を人々に与えない。2室の金星在住はむしろ穏やかな表現を示す。ラーフ、ケートゥも減衰していてあまり派手な表現はしない人である。

しかし太陽は射手座にあり、自らの信念の正しさを周囲にアピールする姿勢が強い。その太陽は木星と星座交換していて、スーリアグルヨガ的なはたらきをしている。本人はあまり世渡りはうまくないが、周囲から高い評価を受ける。だからこそノーベル平和賞を受賞するのである。太陽の側には水星があり双子座にアウペクトバックしている。7室支配のすし絵が1室に在住しているわけだから、彼の妻は献身的に彼に尽くしていることになる。事実、彼の妻は獄中の彼を物心両面で支えている。

だが彼のホロスコープでは、月の傷つきがめだつ。月は完全にケマドルマであり、そこに火星、土星がアスペクトしている。孤立無援の人生、弾圧を受ける人生となるが、火星の強さが彼の強い信念を支えている。
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