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ラオ先生と東京裁判とパール判事
astrodiaryによると、ラオ先生は東京裁判におけるパール判事の言動に強い関心を示しているようだ。確かに私がバワンの国際コースの講義を受けた時も、ヒトラーのチャートを決して悪く言わなかった。ラオ先生がヒトラーのチャートを分析した時、ヒトラーがエヴァブラウンとの結婚を死の直前にしたことを人間的行為として評価していたのが印象的だった。ラオ先生ばかりでなく一般的にインド人のインテリはインド独立のきっかけを作ったのは日本とドイツと考えているようだ。日本とドイツが連合国と戦うことにより、結果としてイギリスのアジアひいてはインドへの影響力を弱めたと考えている節がある。つまり、インド独立の外的条件を作ったということだ。インドが親日的な理由は、中国への反感と過去の日本の行為に原因があるとも思える。

パール判事は連合国側の判事が戦争犯罪人の処罰を要求している中で、唯一「日本無罪論」を強く出張した人だ。ただし、彼は日本の侵略行為を肯定していたわけではない。彼は日本侵略行為に対してこう述べている。欧米諸国がアジアを植民地化した行為は武力によるもので、これは侵略行為である。日本はこうした欧米の行為の真似をしたのだ。歪曲と規模については問題はあるにせよ南京で多くの人が死んだのは事実だし、フィリピンでのバターン死の行進などは残虐行為だと言っている。連合国側はニュルンベルグ裁判でナチスドイツを裁いたのと同じ論理(共同謀議)で日本を裁こうとしていた。その裁きの根拠として「平和に対する罪」「人道に対する罪」という侵略戦争開始時に不明確であった国際刑法の概念を事後立法で作った。パール判事はそういう事後立法では日本を裁く法的根拠にならないということを終始一貫主張していたのである。

もし国家の犯罪というなら、広島への原爆投下こそ人道に対する罪であるとも述べている。そしてその東京裁判の詳細な事実内容は、公開されているとは言え、少なくとも日本では詳細に吟味検討が加えられていない。東京裁判は明らかに「勝者の裁き」だ。隠された真実を客観的に分析することを試みたからと言って、右翼、侵略戦争肯定論者というレッテルを貼るのは間違いだ。この愚を犯しているのが日本のマスコミだ。

私自身も昭和初期から20年までの日本政治指導者は日本を明らかに間違った方向に導いたと思う。原爆投下も直接的にはアメリカやトルーマンの人道に罪とは思うが、その遠因を作ったのは日本軍部の誤った信念のためだ。当然道義的責任はある。だがそのことが、日本の伝統や日本の近代史の行動を全否定することにはならない。現代日本はこのことに対するそれこそ自虐史観的な思い込みがあり、これが日本の国際社会への主張や国際貢献を大きく阻害していると思われる。歴史を鏡にしてというが、こんな曇った歪んだ鏡をいつまでも眺めていては、危機的状況にある日本の将来のためにならないと思う。

人や国家を裁くのに法的根拠が重要なように、歴史の判断はどういう史的事実があったのかということが唯一重要な論拠となる。その行為は戦争肯定とか否定とかいう次元のものではない。

パール判事は問題視していたけれど、その後いろいろ明らかになってきた史実からは、当時、事実と認識されていた史的認識とは違う史実が明らかになり、そうした反論する意見や論文が多数出てきている。たとえば、満州事変のきっかけとなった張作霖爆殺事件の犯人は関東軍ではなくコミンテルンである。盧溝橋で最初に発砲したのは中国軍である。南京事件が起こったとされる当時、欧米のプレスはそのことについて何も報道していない。東京裁判になって急に浮上してきた事柄である。南京事件を殊更大きく取り上げた「The Rape of Nankin」の著者は突然謎の自殺を遂げているし、その中で取り上げられている南京事件の殆どの写真は捏造したものということが論証されている。

このように、日本近代史は大きく歪曲されているところがある。パール判事は戦後何度か来日したがその時こう述べている。「日本人にアジア侵略という罪の意識を植えつけ、欧米のアジア侵略という事実を歴史から消そうとしている。」ライシャワー博士もこれと似たような発言をしている。「19世紀の帝国主義が裁かれず、20世紀に軍国主義だけが裁かれるのは、歴史的にみて公平ではない。」
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ダライラマ法王による震災の四十九日法要
ダライラマ法王の東日本大震災の四十九日法要が護国寺で行われたので行ってきた。これだけの大地震が起こっても個人的には何一つ被災者の為にすることができなかったので、せめてもの供養と思って参加した次第である。 聞けばダライラマ法王は、地震が起こった直後にこのニュースを聞いて、ダラムサラにたまたまやってきた僧侶や信者を集めて、日本の為に十万回般若心経を唱える会を催したそうである。

今回は、もともとアメリカを訪問するする途中、トランジットで日本に立ち寄る予定だったのを、滞在日程を1日延ばしてもらう事によって実現したものである。

あいにく曇り空でどんよりした天気にもかかわらずかなり大勢の人が集まった、日本人僧、チベット人僧、それに横綱白鳳関が参加した。なるほど考えてみればモンゴルはチベット仏教の国だ。白鳳関は、不祥事にあえぐ日本相撲協会の名誉挽回とダライラマ法王への信仰との両方の意味があるにちがいない。日本に亡命しているチベット人も多く参加していた。私がいた場所はたまたまそのチベット人達の近くの席であった。チベット人と言っても若い人達はおそらく日本で育ったのであろう。映像でみるようなチベット現地での痩せこけた垢ぬけない風貌体躯ではない。大柄でふくよかな顔をしていた。中にはほっーと思うようなグラマーで美貌のチベット人女性もいた。それがチベット秘仏でみるターラ観音そっくりの顔立ちで、こういう女性をモデルにして仏像を彫ったのだな思った。(仏様に対してかなり不純ですね)

白ターラ菩薩
美しい白ターラ菩薩(世界で最も美しい女神)

ダライラマ及びチベット僧が唱えたお経は、チベット語による般若心経と普賢菩薩のお経と「地神と四大(この世界を構成する4つの元素)の女神に対する供養文)」 等々である。
http://www.tibethouse.jp/news_release/2011/110405_sa-bdag-byung-bzhii-lha-mor-gsol-mchod.html 

チベット人僧のお経の後は、今度は日本人僧が日本語で般若心経と日本の真言宗で最もなじみの深い光明真言等を唱えた。般若心経は大勢の人が同時に唱えたのでいわゆるお経のコーラスとなってなかなか迫力があった。日本の仏教経典は漢訳で唱えるのが大多数であるが、真言宗だけは梵語でそのまま唱える。母の実家が真言宗だったので光明真言のお経はたまたま知っていた。
おんあぼきや べいろしゃのう なかぼだら まに はんどまじんばら はらばりたや うん”と唱えるのである。 

最後にダライラマ法王は法話をしてくれた。内容は一口で言えば今回の地震に挫けず頑張るようにというものだった。日本人は広島、長崎での被曝経験があるにもかかわらず、立派に復興した過去の経験があるのだから今回もできるといていた。最後の話で、日本人はぜひ英語をもっと勉強しなさいと言っていた。理由は日本人のもついろいろな経験、才能、技術をぜひ国際社会の日本よりもっと貧しい国の人々の為に役だてて欲しい。その為には、ブロークンでかまわないから、海外の人々とのコミュニケーションをとる手段として、英語をもう少し勉強してはどうかという話だった。合理主義者らしいダライラマ法王の話であった。

これと関連するが、ダライラマのチベット語と英語による法話を、見事に日本語に訳してくれた日本人通訳の力量にはある意味で感心した。
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頑張れ東北〜東北地方に悪しきカルマは存在しない〜
マグニチュード9・0地震の後の大津波、そしてあいつぐ原発の事故。日本はとんでもない国難に見舞われている。津波の爪痕、福島原発の放射線漏れ、株価の暴落等々いやでもテレビに釘つけになる。

そんな中で、天変地異、災害は人々が積み重ねてきたカルマの清算だという珍説を言う人達がいる。中国でも、天変地異は悪政の報いであるという思想がある。石原慎太郎に至っては今回の「津波は天罰」などという暴言を吐いている。天変地異や天災が欲望やエゴを優先させた行為に対する神の戒めだとする考え方そのものは理解する。しかし、それでは中国四川省の人達が悪しき人々だから、四川省で大地震が発生したのだろうか。天罰を受けるべき中国人はチベット人を弾圧したり、毒入り餃子を日本のせいだと強弁したり、農民から土地を取り上げたりする腐敗官僚や軍人達の方である。岩手、宮城、福島の人達が悪しき人々だから地震や津波に見舞われたのだろうか。広島や長崎が原爆を落とされたのはそこに住む人達に悪しきカルマがあるからだろうか。エセ占い師や邪教系の宗教関係者の中には宿命やカルマを信じるあまり、そうとも受け止められる無神経な発言や書き込みをする輩がいる。だがこういう時節をわきまえない非常識な発言に私は義憤を感じる。

今日はあえて東北地方の人達の味方をする。そもそも福島原発によって利益を受けてきたのは誰であろうか。それは首都圏の人々と企業であって地元福島の人々ではない。悪しきカルマの発信源はむしろ中央政府や東京のエゴイズムにある。それらのエゴイズムからくるカルマの犠牲となり、その償いを身代わりとして一身に背負ったのである。そう考えた方が筋が通る。だから首都圏を始め他県の人々は、そう言う尊い自己犠牲を払った東北地方の人達に感謝の意を表し、惜しみない援助を行う義務がある。1年を期限とした東北救済の為の消費税値上げというアイデアに私は賛成する。

東北地方に悪しきカルマなど存在しない。だけど悲しいカルマはあるかもしれない。そもそも東北地方は歴史的にみると、常に中央政府の犠牲になってきた悪しきというより悲しいカルマがある。古代は大和朝廷により蹂躪され、そして中世は物産と馬と金をかすめ取ろうとする尊属殺人の血脈が流れる清和源氏や鎌倉幕府の犠牲になってきた。近代史においても、国家神道をデッチあげ天皇ファシズムへと突っ走った明治薩長政府の犠牲となった会津藩の悲しい歴史がある。そもそも明治維新に官軍も賊軍もない。近代化や開国についての政見の違いがあっただけである。

津軽地方は夏になると「ねぶた祭」という夏祭りをやる。若いハネトとジャンボ太鼓を使ったヴァイタリティ溢れるダイナミックなお祭りだ。北方の民にはめずらしい情熱的なお祭りである。聞けばその祭りの主は、坂上田村麻呂だと言う。それがそもそもおかしいのだ。「まつろわぬ民」「蝦夷征伐」とはそもそも何であろうか。豊かな物産や金を手に入れようとする大和朝廷の野心に他ならない。荒ぶる民を鎮撫するのではなく、大和の侵略軍による東北の蹂躪だ。その先兵だった坂上田村麻呂を祀るのは筋が通らない。南米のインディオがコロンブスを神として祀るのと同じではないか。他民族を侵略するには大義名分がいる。スペイン人の場合は、キリスト教の布教がその大義名分だ。キリストを信じないインディオは蛮族であり、従わなければ殺しても罪にはならない。それが当時のスペイン人の大義名分だ。

大和朝廷の東北に対する侵略の論理もそれと同じだ。彼等は中華思想を日本に当てはめ、東北の民に「まつろわぬ民」「蝦夷」「文化果つる道の奥」という差別と偏見に満ちたレッテルを貼り付けた。文化の遅れた野蛮人を教化してやるのだという一方的な理屈を振りかざし東北の富を収奪することに凶奔した。こういう話を青森県弘前市を訪れた時、津軽地方の人々に話したことがあるが、かなりの人が納得してくれた。それが功を奏したわけではないが(私はそんな影響力をもった大物ではないので)、最近の「ねぶた祭り」は坂上田村麻呂一辺倒ではなくなったようだ。アテルイのような大和の侵略軍に抵抗した東北人民の英雄をまつるねぶたもある。

以前の日本史では縄文文化は弥生文化に比べると遅れているというような偏見に満ちていた。しかし、三内丸山古墳を始めとしてさまざま縄文古墳や遺跡が発見されるにつれて、こうした前提は間違いであることが次第に明らかになってきた。縄文文化が弥生文化より遅れているのではない。文化の型が違うのだ。こんなことは文化人類学の常識である。

「黄金の国ジパング」といわれた発信源は奥州平泉文化にある。12世紀の日本には、京をもしのぐ豪華絢爛たる寺院と文化が東北にあった。その繁栄ぶりは中国、モンゴルにも知られていた。当時のヨーロッパ人はマルコポーロの話を信じ、その黄金を求めて西から東洋に行こうとした。そういう意味では奥州平泉がなければ大航海の時代はなかった筈である。東北が実際に文化果つる所なのであればこのような文化は生まれない。

平安貴族を美化してはいけない。彼等は全国の農民から収奪した富で暮らしていた無為途食の寄生虫である。源氏物語などはその上に咲いた仇花に過ぎない。彼等の無知と情報不足による誤解と偏見のお陰で、東北は「文化は果つる道の奥」という差別イメージを押しつけられたのだ。明治維新後においても東北諸藩は反薩長の立場をとったために、賊軍の汚名を着せられ偏見と差別に苦しんだ歴史をもつ。

だが東北の人々はそんなことに挫けはしなかった。東北地方は日本の近代史において政治家、軍人、教育者、科学者等々多くの人材を輩出している。東北地方は日本近代史における人材輩出の宝庫なのである。そう言う事実があっても、なおかつ東北地方に対する偏見は残っている。かなり前の話だが、東京遷都論が盛んだったバブル全盛時代に、サントリーの佐治社長が東北のような熊襲の住む所に首都など移転してはならないと発言し、東北地方と南九州の人々の反感を買ったことがある。大企業の社長にしてこの無知無能ぶりはなんだと思う。東北地方に悪しきカルマなど存在しない。東北地方の人達が受けるべき天罰はない。大いに頑張って欲しい。これから期待できる「復興特需」「復興ニューディール」は東北再生だけでなく、日本再生の鍵になるかもしれないのだ。
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