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占いとスピリチュアルは別物

一口に「占い」と言ってもいろいろスタンスの違いがある。簡単に言えば、命卜相と開運法でまったく見方も立場も違う。しかし占いをよく知らない人は混同しがちだ。そこにちぐはぐなものが生じがちとなる。特にいわゆる「占い」と「スピリチュアル」とは違うと思うが、多くの占いハウスでは同じように扱っている場合が多い。しかしそれでは混乱の因になる。この2つはきちんと立場、目的、用途が違うものとして区別した方がいいと思う。その方が占いのハウスの経営者、占い師、そして顧客にとってむしろよい。

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Dave died 〜占星術書店経営者の惜しまれる死〜

占星術書店を経営していたDaveが死んだ。彼はいつも対応が早くしかも義理堅く、注文した占星術の洋書はいつもきちんと対応してくれた。しかし、最近注文した本に対しては何の反応もなく病気でもしているのかなといささか不安に思っていた。ところがおそらく身内の人と思われるが、彼は死んだとの連絡があった。しかし彼の死はいささかショックだ。

 Dave died on July 27th. I am trying to sell the business. We have to move and cannot maintain the store. Elizabeth

このような英文が書かれていて、どうやら書店は維持不可能なので店をたたむ気らしい。占星術書店は世界中で他地域にないわけではないがDaveの経営していたAstrology center of Americaのように大量の占星術文献(西洋もインドも含めて)を取り揃えしかも対応が早い所は珍しい。私は大変に重宝していた。http://www.astroamerica.com/index.html がURLなので、欲しい本があったらサイトがある内に注文するといいだろう。

占星術マニアというのは世の中にそう多くはなく、経営は楽ではなかったと推測する。彼自身も占星術の研究をしており、使命感をもって経営していたと思う。日本で商業性にこだわらない本格的な占術本、占星術本のネット書店は皆無であり、これを機会に誰かDaveの事業の後を継がないかなと思っている。仕入れルートや人脈がわかるなら、私が跡を継ぎたいくらいだ。そうすれば日本の占星術のレベルはもっと上がるだろう。とにかく世話になったDaveの冥福を祈りたい。

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事前に話せば分かること

師弟関係というのは社会状況や組織の体質によって違うものである。今日本の経済学者でマルキストケインジアンを名乗っている人は多い。ドラッカーを信奉している人はドラッカリアン名乗り、クラシック音楽でワグナーの愛好者はワグネリアンと名乗る。

今日マルクスやケインズと直接会って薫陶を受けた学者は殆どいない。ただマルクスやケインズの書籍を読み研究しその思想に共鳴したので、マルキストやケインジアンと称しているだけである。ドラッカリアンやワグネリアンもそれと同様である。日本人でドラッカーの薫陶を受けた人は殆どいない。ある偉大なる先達や師がいてその人の書籍に親しみ研究をするだけでその師の学派に属すると考える人は多い筈である。開かれた学派の立場なら自らの学派の創設者を尊敬はするが宗祖のように崇め神格化はしない。

しかしその一方でそれとはまったく異なる考えをする人達や一派もいる。日本の茶道、華道などの世界はその典型で家元制度があり師匠のもとで薫陶を受け、その芸道を認められた人しか〇〇流を名乗ってはいけないとする立場である。日本やインドの権威ある占術家の考え方もそうらしい。そういう閉鎖的集団は常に正統、異端の論争が絶えない。

私は前者の考え方をする人間なのでそれでよいと思っていた時があった。しかし1〜2年前であろうか、インド流の考え方は後者であると知った時がある。はっきり言ってそのグルの名を名乗ったからといって、多大な営業利益を得るなどということはない。そう思っているとしたら勘違いも甚だしい。日本の占術市場はそんなものを中心に動かない。でもそういう風に考えるのならそうするかと思って、ラオ流という枕詞をその時全部削除したつもりである。でもうっかりミスでどこかに削除漏があったらしく、それを目ざとくみつけた信奉者が私を槍玉に挙げだした。

そんな時は、直接言ってくれればいいのだ。ラオを名乗ったからと言って特別に営業メリットはないのだから、ここに削除残りがあると指摘してくれればそれですむことだ。それで削除したと思う。実際に私はインド占星術の他に西洋占星術や易学、相学もやるのだから、そういうシビアな意味でのラオ流ではない。私が直接薫陶を受けた占術の師として尊敬しているのは周易の権威だった故讃井天祥先生の方だ。ラオではない。いくらHPやブログで書いたからといって、それだけで相手に通じるとは限らない。電話連絡ができる間柄であれば一本の電話で済む話だと思う。だから私は過剰にメールに頼るコミュニケーションは好きになれないのだ。

それからはっきり言うが占術愛好者の一部ではあるが、非常に感受性が強かったり被害妄想が強かったりする人もいる。私は鑑定時は研究も兼ねて相互のやり取りはきちんとメモをとっているのでいつ誰に何を言ったか大筋わかる。その中にこそ事実がある。しかし中には口頭のやりとりで私の意図を誤解し一方的に歪めて伝える人もいるようだ。そんな時は占星術被害などという事実無根であり名誉棄損に値するようなことをいきなり書かないで、まず本人に直接確認するのが筋道だと思う。

書籍の評価にしてもインド占星術と西洋占星術の言葉の定義の混乱でひっかかるところがあるのなら、もっと客観的具体的に納得のいく形の説明が必要だ。それと27宿、28宿、マンデーン、歴史いずれも間違った認識をもっているのは彼等の方である。あまりにヒンドーゥ優先の狭い視点や知識しかもっていないと思う。集団で徒党を組んで問答無用の低評価ボタンを押す行為をみていると、これが慈悲の行為やカルマの浄化を説くインド占星術教徒のやることか、こんな程度の徳性、知性しかもっていないのかといささかがっかりした。

それにしてもラオ原理主義者は占星術について考え方や価値観の違いを認めない。占星術の考え方の違いを相対的なものと考えない。自分達だけが普遍絶対の権威でそれ以外は異端だと心底思いこんでいる。私はこれには失望した、というより呆れかえった。これは一種の宗教思想だ。だから世間からインド占星術というとカルトだのオウムだの言われるのだろう。この現代の世の中で宗教裁判を起こそうとはなんという危険思想か。争うとしたら名誉棄損などというちんけな罪状ではなく、憲法違反、思想言論信条の自由を侵す人権に対する罪として争うのが妥当だろう。段々わかってきたのだがラオ原理主義或いは古典原理主義というのはヒンドゥー原理主義と同根の宗教思想と思う。そう考えると彼等のある種の頑ななこだわりの理由が見えてくる。しかし私は脱オカルト、脱宗教を志向する。だから合わないのだ。要するに宗教やイデオロギーが違う。だから論争をするのはいいとしても、非難中傷や嫌がらせをされる。自分の宗教を大切にする人は他人の宗教も大切にするというが本当にそうなのか。本来のヒンドゥー教には攻撃性はなく、他宗教に対しても寛容と聞いていたのだが、実際は違うらしい。

私がインドの2011年の国際コースに参加してせっかくBVBの関係者と直接話ができるようになったと思ったのに、一方的な思い込みで信頼感を崩されたのは真に残念という他はない。だが私はインド占星術をやめることはないし挫けることもない。独自の道を今後とも切り開いていくだけだ。ラオの呪縛、制約から離れた方がむしろ自由に活動できてよい。ここまで認識や価値観が違う集団とは一線を画すしかない。いくら占いとはいえここまで世間の常識とかけ離れた集団とつき合う気はない。ラオ以外にもすぐれたインド占星術師はいくらでもいるしちがうタイプの占星術も厳然と存在する。それらを自由に研究した方が私の占星術人生にとってむしろよい。

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風評「占星術被害」に反論する
JJSに「占星術被害」という風評、伝聞、告げ口、讒言にもとづく記事がある。そのJJSの「占星術被害」を改めて見てみよう。
http://jyotisha.jimdo.com/%E5%8D%A0%E6%98%9F%E8%A1%93%E8%A2%AB%E5%AE%B3/

しかしこういうことをいきなりブログに書き込むのは如何なものかと思う。一体、何の証拠があるというのだろうか。「虚偽の申告」という世の中によくある詐欺行為をまったく無視してのことだろうか。名誉棄損に値する内容である。

指摘のような被害届があったことは事実であろう。確かにいい加減な占い師、インチキ占い師はいる。だが、普通の真面目な占い師でも上記のような誤解は起こり得る。クレーム対応では気をつけなければいけないことがある。そのクレームの申告内容がそのまま事実とは限らない場合がままある。具体的な証拠裏づけがない本人の証言だけの場合、その取り扱いは注意を要する。言った言わないはトラブルの因である。トラブルというのは必ず両者の言い分を聞くべきものである。一方の話だけを聞いて鵜呑みするのは危険である。それは風評被害、名誉棄損、冤罪の原因となる。人は自分自身のことは必ずいいように言うものである。

実際、たとえば離婚鑑定の場合、依頼者は必ず相手のことを悪く言う。言っていることも事実がどうか疑わしい場合がよくある。よく傾聴し質問し相手のホロスコープも分析すると、事実関係がまったく違うことがよくある。もちろん鑑定人はあくまで依頼者の立場に立って相談に乗るべきであるけれども、事実が違っては話にならない。

このような場合私ならどう心掛けるか念の為に書いておこう。これは鑑定者と被鑑定者の間によく生じがちなコミュニケーションギャプを減らすためでもある。こう事前に書けば過剰なサービス期待をかけられたり思い込みの違いによるトラブルはある程度避けられるだろう。

事例1の健康の場合、近未来の可能性については言うが、決定論的なことは言わないだろう。医療占星術は微妙である。占星術で病気の可能性を見る次元でとどめられればいいが、それで病気を治そうと思う人が本当にいる。だからアドバイスには気をつけなければいけない。こういう場合は、何かの折に自分の体質を健康診断、人間ドッグでよく確認するように言うべきである。私はいつもそのようにアドバイスしている。言うまでもなく健康問題の最終決定は医師がする仕事である。

事例2については前述の通りである。自分の生徒でもないのに生徒などと言う人がいると聞いて私も唖然とした。もしそういうことを言う占い師がいるとしたら、かつてAさんにインド占星術以外の占術を教えたことのある占い師の中の誰かだろう。何か勘違いしてホラを吹いた可能性が高いと思う。しかし推測の域を出ないのでこれ以上は言及しない。

事例3では、もし私が誕生日の打ち込みを間違えた場合なら、これは自己責任であるので当然無償で再鑑定する。しかし鑑定依頼者が間違えて誕生日を申告した場合話は別だ。すでにそこには鑑定のための労力、時間は投入されたわけだからそれをゼロベースに戻すことはしない。でも顧客満足を考えたらそうもいかないので、すでに料金をいただいた分を勘案して、いくぶんかのサービス価格をいただく形でなら再鑑定する。そうでなければ電話、メールで修正点を伝える。

事例4では水星、木星の傷つきがひどくて明らかに占星術には不向きならそのように伝えるだろう。インド占星術にスピリチュアリズムを期待してくる人は少なからずいる。しかしながらインド占星術そのものは分析的な学問で、論理的思考ができない人には無理である。そういう場合は、はっきり伝えた方がむしろ親切である。それから、いかにひどいホロスコープであってもそんなことは言わない。実際に不運なチャートでも少しでも良くなる方向で当然考える。占星術に不向きでも他に良い点はある筈だから、その方向性でアドバイスをすればよい。

事例5では、現実の鑑定では恋愛結婚問題に触れることが多い。或いは浮気不倫相談などされる。そこからセックスや性生活にまで質問が及ぶこともある。だから質問によっては多少微妙な事も言わざるを得ない場合もある。しかし、相手から質問されない限りはそこまで足は踏み込まないし、言葉の使い方も気をつけるようにしている。それよりも公開講座でのチャート分析はパッとみて最も特徴的な事を言うのみで限界がある。私の腕前では、セクハラ的な次元まで瞬時に突っ込んで読み取ることはできない。もちろんみんなの前で言うこともない。
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ラオの危惧とサービスマネージメントのあり方
私はラオの危惧は杞憂と書いたが、占星術被害についてJJSの被害届をみるといろいろな事例が書いてある。これらはすべて同一人物が発生源と書いている。ある一派の組織犯罪の臭いがする。占いサービスではよくありがちな、どの占い師でも一度は経験しそうなトラブルの事例が書いてある。こういう一般的な記述をされると誰でも一瞬は自分のことかと思うであろう。だが、よく読むとこれはちがうと思う。まず医療類似行為をしたことはない。生徒でない人を自分の生徒と言った覚えはない。アセンダントラグナが違わない時間の範囲内ならともかく日まで違えば当然再鑑定する。だからこの人物は私ではないJJSのAさんは私が面識のある人であり間違いなくS氏の生徒である。私の生徒ではない。Aさんが私の生徒と言うようなすぐにバレる嘘をつく愚を私は絶対に犯さない。第一にそんなことを言う必要もメリットもない。

内容をみると世間を騒がすような具体的な金銭問題、薬害被害等の詐欺ではない。別に占星術メナスという占星術に思い入れた見方をしなくても説明できる。人と人が関係するサービスマネジメントの視点で読み替えられる。再発防止のためにはこの視点の方が効果的だ。挙げられている事例はともするとサービス業では起こりそうなトラブルである。依頼者への動機づけ、クレーム対応、説明のしかたのまずさ、が主要な問題点である。私も双方の思い込みの違いからくるトラブルは経験している。殆どが事前の両者の思い込み違いの未確認、話し合い不足、相互誤解、ちょっとした言葉の使い方の受けとめ方の差、期待満足度のギャップに起因している。

サービス業の品質評価は事前のユーザーからの期待品質によって決まる。それとサービス提供者との間のギャップが大きいと絶対品質のレベルが高くても不満が生じる。だからどこまでの水準でサービスができるかを事前に確認しあうことが大切である。そういう意味ではできないことはできない、知らないことは知らないと事前に言うことが大切だ。ラオのような鋭い鑑定はできないが、このレベルまでならアドバイスできるとはっきり言うことだ。たとえば、

 ゞ睛擦琉貳矛晃はわかるがそれで儲かるかまでのアドバイスはできない
◆”袖い鬚靴笋垢ど位の指摘はできるが最終確認は医師に依頼して欲しい
 カルマを越えてまでのムフルタや開運法は期待しないで欲しい
ぁー尊櫃坊觝А蔑ズА砲垢襪しないかの最終決断は本人の問題である
ァ.ぅ鵐匹寮纂圓行うような神秘的能力はもっていない
等々である。

そこまでのレベルでいいという人にアドバイスするなら何も問題はない。サービスはあくまで個別ニーズ対応の問題である。極めていないからアドバイスしてはいけない、講義をしてはいけない、本を書いてはいけないというものではない。そういう絶対的なものではない。占い愛好者の中には感受性が強く妙に思い込みの強い人が少なからずいる。そういう人とははなからかみ合わないので、その対応には注意を要する。誠実な対応はもちろん大切だが、ビジネスライクに言えばそれはコストパフォーマンスの範囲内でのことである。過剰品質要求、コストに見合わないサービス要求に応じる必要はない。今までの鑑定経験では、下記のような傾向が目立つ。

 .ぅ鵐廟蠕噂僂呂茲当たると聞くので何でもかんでもわかると思い込む
◆\蠕噂兒佞慮世Δ海箸防要以上に重みをもって受け止める
 精神世界の誠実な鑑定という言葉を無制限のサービスと混同する。

占星術師は人間であって聖者ではない。当然誤りやミスは犯す。もちろん時間をかけて勉強してそれらが少しでも減るように努力はする。日本では習慣的に学芸を教える人を先生と呼ぶが、そこに完璧な人間性を求める方がおかしい。要は「占いサービス業」の従事者なのだ。占星術を信じるのはいいが、何か言われたからといってはなから信じ込んだりトラウマになる必要はない。なんであれまず自分の頭で考えるのが基本だ。

占星術の教育で一番感じるギャップは、中途半端に独学で勉強してきた人の場合である。独学でも徹底的に洋書を読み込み実践経験も十分に積んでいる人はそんなことはない。むしろ尊敬に値する。私の方が教わりたいくらいだ。中途半端な独学ユーザーは基本はできているからもっと高等技法、秘伝的なものが知りたいと思ってやってくる。ところが2,3回教えてわかることは、キーワードを知っているだけで、実は基本が殆ど分かっていない。ウバヤチャリヨガという言葉や寿命計算の方法等妙にマニアックなことは知っていても、基本となる「在住と支配の違い」を知らない等はその典型例である。そのような場合、期待品質と最適な提供品質とでギャップが生じる。相手は自分はもっとできる思っているから始末が悪い。今までの教育経験では下記のような傾向がある。

 \蠕噂僂隆靄椶鬚泙鎖箸砲弔韻襪海箸鬚ろそかにする。  
◆.ーワードとその定義だけ知って鑑定ができると思い込む。
 関心のある部分だけ変に詳しく占星術全体を体系的に学ぼうとしない
ぁヾ靄椶鬚ろそかにしてやたらと高等技法、秘伝を求める。
ァ|司宍泙弊果を求め基本を身につけるまで辛抱ができない(これが最大の問題点
Α々眦技法を求めてやたら本を買い込み講師をあれこれ変えたりする 
А.好團螢船絅▲螢坤爐悗量な思い込みがある

どこまでが基本か定義する必要があるが、日本の現状では一足飛びにBVBレベルまで求めても無理である。数十年単位の時間をかけてそこまでもっていけばよい。そのレベルに達するまで何もするべきでないというのも極論である。その過程で誤解、偏り等生じるかもしれないが、試行錯誤と考えてそれも時間をかけて軌道修正をかけていけばよい。その位の気持ちでいるべきである。それから高等技法や秘伝さえ知れば鑑定ができると思うのも間違いである。
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占術業界における棲み分けビジネスモデルの確立
1月9日の清水俊介さん主宰のブログで「アカデミック占星術VSポップ占星術」という面白い記事を書いていた。冒頭にこう書いている。

「Shr.K.N.ラオは、占星術を
.螢機璽舛鮹羶瓦箸垢アカデミック占星術
⊃裕ぞη笋中心のポップ占星術
の2つに分類し、ポップ占星術は有害無益だといいます。」

ラオ先生は厳しい。ポップ占星術が無益なことは確かだが、有害なものと無害なものと2種類あると思う。また、この占星術という言葉はそのまま占術という言葉に言い換えることもできる。いわゆる「占い」には大衆風俗としての文化的側面があることは否めない。正月のおみくじ、四(死)の数字使用を嫌う病院、大安吉日を選ぶ新婚カップル、友引を避ける葬式等々、何の根拠もない迷信と言えばそれまでだが、縁起を担ぐという心情がある。そこにささやかな庶民の夢やすらぎがある。私はそんなことまで否定しない。そういう一般的な生活習慣の範囲内なら無害だろう。

そしてこのブログではこうも続けている。「一番狡猾なのが、アカデミックな振りをしながら、その実、ポップな占星術に軸足をしっかりおいて、抜かりなく、ちゃっかり、がっちり、着実に有名(ポップ)路線を歩む。」

ここに少し肉付けをしたいと思う。この指摘はその通りである。こういう類が一番悪質だ。たとえばドクターコ○氏の気学家相の本など読んでいると、「家の西に黄色の招き猫を置くと金運がよくなる」などと書いている。そんな馬鹿なとは思うが、彼は自分を権威などとえらぶったりはしない。お楽しみ占いの域を出ないことを自ら認めている。だからちゃっかり儲けている割にはあまり悪評はないし、反感も買わない。馬鹿にされているだけだ。それでも稼ぐが勝ちと思っているのだろう。

問題なのはカリスマなどと称しながら、あちこちの占いを適当にパクってはその中のごく薄い部分をつぎはぎして奴がいる。その癖権威ぶっている輩と業者がいる。洋書や漢文が読めなければ原典に当たれる筈もない。古書の蔵書数などいくら誇っても読んでもいないし内容も身についていなければただの古本屋さんだ。ありもしない海外の占術団体をでっち上げては自らを権威づけることをする。貧乏占い師のノウハウを金で買い上げゴーストライターを使って書かせればどんな占術分野の本でも量産できる。つまりマスコミ、テレビ局、コンテンツ会社、出版社等々を使って派手なプロモーションをすれば誰でもカリスマ占い師になれる。これが裏の現実だ。まさに日本占術業界腐敗の構造である。占い素人はそんな業界の騙しのからくりを知る由もない。それですっかり騙されて大金を払って鑑定や教育を受けに行く。その内容はポップ路線の域をでない。こういう輩こそまさに有害無益である。

占い館とか電話占い等は一般的にはポップ路線の最たるものである。一部の経営者ではあるが、占い愛好者が霊感を好むと聞けば、霊感などないのに少し言動がおかしいいかがわしい人物をわか霊能者にしたてあげて顧客をたぶらかすくらい平気でやる。騙される人も馬鹿だが、そういう占い依存症の人を相手に金儲けしているのが占術業界の実態だ。だからいい加減な輩が金儲けができる。

しかし、そういうところで働く占い師の中に実はけっこう実力もありアカデミックな占術研究をしている人が少なからずいる。だが、兼業占い師ならともかく、専業占い師はそれで生活をしていかなければならない。日本では悲しいかなあまりアカデミックな立場で占術を追及すると生活が成り立たない。それで多くの占い師はポップ路線を歩まざるとえないのだ。そのことが日本の占い水準を随分と低いものにしている。

だが、しっかりしたリサーチの場があれば、そうしたいと思っている占い師は潜在的には多いことを私は知っている。そういう展開をすれば知的水準の高い占い師および占い愛好者も増えるだろう。リサーチをビジネスとするには、リサーチに価値を置く占い愛好者を増やさなければならない。私はアカデミック路線で生きようと思っているが、えらぶらないポップ路線の占い師とは仲良くやっていきたいと思う。しかしエセカリスマ占い師とは自分の信念を曲げてまで関わるつもりはない。テレビに主演してヤラセに乗る気もない。だからこういうことが書けるのである。ポップ路線の有名占い師にゴマをすっておこぼれに預かろうなどと情けないことを考えていたらとてもこういうことは書けない。

アカデミック路線、ポップ路線というと当然のことながら音楽の世界を連想する。先日もある会合でクラシックの音楽評論家と会ったら、あることでひどく憤慨していた。秋葉系のAKB48のような軽いのりで歌うろくに音楽の勉強もしていない人達がいる。でも彼等はきれいな衣装をつけ踊りながらちょっと歌っただけで100万円になる。それなのに、ここにいる人達のようにきちんと音楽を勉強した人達がなんで貧乏しなくてはいけないのか、というものだった

私も趣味で声楽の勉強をしているので、この憤りはよく分かる。しかし、それでも音楽の世界はクラシックの世界とポップスの世界は完全に棲み分けが成立している。クラシック畑の人は、音楽の先生をしたり自宅で生徒にピアノを教えたり、結婚式やクリスマス、教会で演奏したりと細々とではあるが収入を得て、クラシックの矜持と誇りを保つ場がある。ポップミュージックの世界は、歌は心とかファンを楽しませることが第一と言いファンサービスに努めるが、一流の芸術家ぶるようなことはしない。アカデミックという名を捨てて大衆からがっちり金という実利を得ようというわけだ。それはそれですっきりしている。

しかし、日本の占術及び占星術の世界ではこの両者をはっきり区分して棲み分けたビジネスモデルがない。非常に曖昧だ。つまり占術及び占星術の世界はそれだけ遅れているいい加減な世界ということになる。私はラオ先生や清水氏ほど厳しい立場は取らない。しかし、それでもリサーチを中心とする占星術師が活きる場、それでsustainableな収入を得る機会をささやかでも作っていきたいと思っている。そういう立場はインドのえらい先生の目から見たら物足りないものに映るかもしれない。そんなのは、クラシックではなく、せいぜいミュージカル、カンツーネ、三文オペラの世界だと評されるだろう。それでもよい。カラオケ、演歌、歌謡曲しかない現状の占術業界よりはましになる。日本の胡散臭い占術業界の現実を考えた時、その位のレベルから始めて徐々にレベルアップするしかない。始めからモーツァルトだベートベンだとやたら高い理想を追っても事は動かないと思う。
 
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占星術と日本の翻訳文化
 日本は「翻訳文化」の国と言われている。明治維新後、日本が急激に近代化できた背景の一つに、漢訳の伝統があったからと言われている。今、日本人が自家薬篭中のものとして当たり前に使用している漢字はもともと日本語ではない。中国語だ。それを長い時間をかけて日本語の中に溶け込ませ、母国語のように使いこなすようになった。そうした経験が欧米の先進文化を導入する時に、容易に翻訳可能な基礎を作っていたのである。今日でも、貿易黒字が海外から問題にされた時も(今年はどうなるか知らないが)、出版貿易だけは完全に日本の入超だった。ここには2つの問題がある。海外の先進技術・文化を旺盛に取り入れるのはいいのだが、そこに明治以来の舶来コンプレックスがあるのではないか、自虐的になり日本文化を海外に広める力が弱いのではないかの2点である。

ここで言いたいことは、日本の翻訳文化は盛んでも、日本の占術業界では古典・原典の翻訳は遅々として進んでいないということである。「占い」に限っては、まだ明治の翻訳文化盛んなりし時のレベルにも達していない。もちろんくだらない駄本の翻訳は行われている。話は変わるが、戦後になって中国占術が盛んに紹介された時、伝統的日本占術は批判にさらされた。日本占術は中国占術のほんの一部だけが伝わっているに過ぎないとか、日本にきて本来の中国占術は歪められたとかいろいろ言われたきた。だけど私は伝統的周易、陰陽道、方位術、観相、家相、ハ門遁甲術、泰山流四柱推命等々の伝統的日本占術が最近入ってきた中国占術に比べて劣っているとは思わない。だが、それどう検証すればいいのだろうか。その有力な手段の一つに古典、原典の翻訳がある。

声高に日本占術を批判する中国占術のオリジナルがそもそもどうなっているか、その全貌が見えてくれば自ずから結論は出てくる。中国だから、インドだから、古典だから、海外の有名な占い師だから正しいということは必ずしも言えない。日本のマスコミがそうであるように、海外のマスメディアがでっち上げた偽の権威と言う事もありうる。そのことも検証できる。流行にのった薄い内容の翻訳書などかえって害が大きい。

中国、インド、欧米では占いや占星術のレベルはこういう高いレベルにあると言われている割には、原典の翻訳は進んでいない。その一部が断片的に紹介されているにすぎない。原典から翻訳されたものとして、私の知っている範囲では、泰山流四柱推命、キローの手相書、魔女の家ブックスの占星術シリーズ、ノエルティルの心理占星術、断易、玄空風水、七政四余、それにラオ本の一部くらいだ。もちろん私が知らないだけで他にも種々あるだろう。だがそんなレベルだからいまだに台湾本が有難がられる。占星術で言えば、毎年、英国占星術協会の大会に出席して、流行りそうな占星術のキーワードを作り出しては稼ぐやり方が、占いのビジネスモデルとして成り立っている。それからそもそも中国語や英語の分かる占い師はどの程度いるのだろうか。

面白いのは香港やシンガポールを旅行すると、書店にドクターコパの家相の本や気学の本が中国語に訳されて山積みされている。なんと皮肉なことだろう。こういう現象をみていると苦笑せざるをえない。

ところで滴天随の翻訳書はあるのだろうか。テトラビブロスやクリスチャアストロジーの日本語完訳はどうなっているのだろうか。一部が訳されているのは知っているが全体はないだろう。こういう古い文献であれば著作権の問題は普通はない筈である。BPHSの日本語訳もまだない。もっとも事情は欧米も同じで、古典占星術の文献の英訳を試みるプロジェクトハインドサイトの動きも、志はいいのだが、人手不足、資金不足で遅々として進んでいないと思われる。こういう時間と労力と金のかかる何の利益にもならない作業を個人でやることには無理がある。占い師個人がこういう作業をやるのはまず無理だろう。無理してやるからかえって中途半端になるのだ。

パーラディーピカ
パーラディーピカ

私もできれば、ウッタラカーラムリタやパーラディーピカくらいは日本語に完訳したい気持ちはあるのだが、一人ではとても無理だ。でもこうした古典文献のしっかりした翻訳があれば、占術・占星術の質を高めることにかなり貢献するだろう。西洋占星術や風水分野の一に部見られるひどい歪みはなくなる。しっかりした古典の日本語訳があれば、あまりにひどい歪み、勝手な解釈はかなり制御されると思う。しかし、かなり困難な作業である。
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専門職としての占星術師
鑑定依頼者の中には、何を勘違いするのか私に無料鑑定の依頼をしてくる方がいる。しかし、私は無料鑑定はしない。無料鑑定を望むなら「インド占星塾」を始めとする無料鑑定サイトか、300円前後のお楽しみ占いコンテンツにでもいけばいい。数次にわたりドタキャンをしたり、数次のメールに対して返信のない方もお断りである。そういう人のホロスコープを見ると、例外なく、水星と木星、ハウスならば8室、9室、12室がよくない。

別にケチで言っているわけではない。変なプライドで言っているわけでもない。私でも本当に困っている人が身近にいたり、占星術のよき研究題材になる場合なら、無料鑑定はする。でも通常はしない。

なぜしないかというと私は、専門職としての占い師、特に「プロとしてのインド占星術師」の社会的、職業的立場を確立したいからである。そもそも無料鑑定というものは「ハウスの在住と支配の区別すらつかない人」が「腕試しや勉強の為」にやるものである。或いは客のつかいない占い師が、「客寄せパンダの手段」としてやるものである。鑑定結果の精度など保証の限りではない。「安物買いの銭失い」で終わるのが落ちだ。

私はそういう類の占いと一緒にされたくない。お金を貰えばそれだけの真剣味が出て占いの精度も上がるし、日頃から勉強せざるを得なくなる。頂いた鑑定料の半分以上は「占星術研究のための研究費用」になっている。それでこそ「専門職としての占星術師」の社会的立場が確立できる。世間によくあるハッタリ嘘つき占い、コンテンツ占い、霊能詐欺占い、お楽しみ占い、耳障りのよい癒し系占いとは一線を画したい。

そこに利益の源泉を見出す志しの低いマスコミ、コンテンツ会社、占いハウス、出版社とも無縁でよい。そこにへばりついた方が金儲けや虚名の確立はしやすいだろう。カリスマだの驚異の預言者などと自画自賛するタレント(才能)なき占い芸能人がうようよいる。ド素人はそれで騙せるかもしれない。しかし、そんな水芸の虚名など占星術を少し研究すれば、本物か偽物か位すぐ判別がつく。実態はただの嘘つきのハッタリ屋にすぎない。そんな生き方は人生の堕落の始まりである。

一口に歌手と言っても、演歌カラオケ、フォークソング、ポップス、ロック、ジャズ、ラテン、カンツォーネ、クラシック・オペラといろいろある。占い師だからといって十羽一絡げに扱われるのは御免蒙る。私は基本的にジョーティシュの研究者の立場であり、おたのしみ系占い師ではない。

だから鑑定のアドヴァイスも多少辛口かもしれない。しかし、専門職のサービスは客に対するおもねりでは成り立たない。例えば医師が患者のニーズに答えるとはどういう意味だろうか。糖尿病の人に酒もタバコも吸っていいよと言う医師はやさしい先生かもしれないが、それは患者にとっては為にならない。患者の病気を一日も早く治し、社会復帰させることが医師の使命である筈だ。占い師だってそれと同じだ。鑑定客にとって耳障りのいい事ばかり言って、鑑定客の人生を狂わしてはならない。それが占い師の使命だと思う。

.....................................................................................................

※ このブログを書いた2008年12月当時、私はまだ日本の占術業界やインド占星術界の実態をよく知らなかった。それで私は上記のことを純粋にそう思っていた。しかし、今現在は完全に宗旨替えしている。インド占星術界に巣食う原理主義者の存在を知ってから考えが変わった。豊田健二の偽名を使って組織的に特定書籍に辛口コメントを加える薄汚いステママーケティングを行う連中の存在を知って、インド占星術のイメージが変わった。インド占星術には多様な考え方があって当然と思ってきたが、インド占星術をまるでカルト宗教のように勘違いしている輩がいることは驚きだった。

そしてあまりに非常識なひとりよがりの独善とまるっきりの誹謗中傷。これこそ正義ぶる奴等の正体である。こんなことやっている人は法的に勝てる見込みなど100%ない。
http://astrodiary.blog114.fc2.com/blog-entry-503.html#more

>被害者さん
>自負も、プライドも、誇りもないですね。
どうもそのようですね。

削除・変更される前に魚拓をとっておきましょう。
(このコメントは削除しないで魚拓としてとっておきましょうよ。)

bald、被害者、chamereon等、ラオ派と自称するエセ原理主義者達が実にくだらないやり取りをしている。自分と考えの違う人間をなんとかやっつけようとする品格の低い人間がラオ派を自称するのか。口先ではきれいごとを言ってこういうことをやる人間がインド占星術を神聖視する立場にいるのかと思うと唖然とする。彼等が本当に誇りをもっているのならこんな徳のない行為はしない筈だ。自分で我こそは正統なるインド占星術教徒と錯覚しているだけだ。こいつらは実態は俗物だ。生臭坊主にすぎない。

ところでこれはなんだ。この人自身も同じことをやってるな。
http://zwrd.net/muscat/0731.php

その後、マスコミ、コンテンツ会社、占いハウス、出版社といえども必ずしも志しが低い組織ばかりでない事も分かってきた。みな占いが好きでその中で現実とうまく妥協してビジネス展開をしている実態がある事も分かった。口先だけの理想主義で異なる考えをつぶすファシスト的占星術師よりも妥協しながらでも少しでも占いの水準を高めよう、楽しんでもらおうとする立場の方が次善ではあるけれど、はるかに有意義な存在だと思う。占いと言えど適正利潤を得て当然だ。この当時の考え方と今と基本的に少しも矛盾しない。(2012年12月24日)
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政治及び政治家と占いのかかわり
政治家と占いとのかかわりと言うのはよく聞く話である。そもそも古代社会では、シャーマン、巫女、司祭、神官の行う「審事」の結果で為政者が意思決定を行っていた。占い、宗教、政治が三位一体のものとして機能していたのである。中国の亀卜、メソポタミアやエジプトの占星術などがそうである。日本でも弥馬台国の女王卑弥呼はシャーマンであったといわれている。諸葛孔明は奇門遁甲の使い手であった言われている。もっともその頃の奇門遁甲がどのようなものであったかは知る由もないらしい。

中世においても占いや占星術は裏面で盛んに政治とかかわっていた。西洋占星術がキリスト教会から敵視異端視されながら生き残った理由の一つは、王侯司祭が占星術を個人的には積極的に利用したからと言われている。政治経済社会現象を扱うマンデーンも盛んに行われた。日本でも「呪術と占星の戦国史」(小和田哲男著)の著作からも戦国大名が軍師と呼ばれる占い師を兼ねた参謀からの意見を積極的に取り入れていることが分かる。

しかしいくらなんでも現代社会で政治家が占い師や占星術師を活用することはあるまいと占星術師である私自身が思っていた。しかし必ずしもそうは言い切れない話が断片的ではあるが随所で見聞きする。ヒトラーのお抱え占星術師とイギリスの占星術師が欧州大戦でしのぎを削ったというのは有名な話である。安岡正篤という漢学の権威の先生が歴代総理大臣の相談相手であったという話も有名だ。安岡先生は易学の権威でもあるので当然秘かに占筮は行われていたであろう。

近年ではレーガン大統領婦人のナンシーさんが夫の国際会議、選挙、海外交渉等の日取り、行動について秘かに当時の有名な占い師ジョアン・クイグリーの意見を求めていたという逸話がある。それも公的立場にあるレーガン氏自身が自ら占星術師のもとを訪れるわけにもいかないので、婦人を行かせたという話もある。レーガン大統領自身も1985年3月11日にゴルバチョフがソ連大統領に選ばれた時、いち早く彼の正確な誕生日を調べさせたという話があるので、彼個人もおそらく占星術を信じていたと思われる。

西洋占星術では、木星トランジットがネイタル太陽とコンジャンクションした時に事を始めると万事うまくいくという理論がある。因みにブッシュ大統領がイラクに宣戦布告して兵を派遣した日がそれにあたる。私は2003年3月18日のブッシュの3重円チャートをみて驚いたことがある。なんとこの日は木星トランジットがネイタル太陽とコンジャンクションしていたのだ。偶然というにはあまりにも占星術理論と合致するので、秘かに占星術師の意見を聞いたと思う。

政治家ではないが事業家として大成功したビル・ゲイツ氏が2008年7月にマイクロソフト社のCEOから完全に引退した。ちょうどこの月が太陽のマハーダシャーから月のマハーダシャーに切り替わった時である。これも偶然言うには少し話ができすぎている。やはりインド占星術師の関与はあったと推測できる。

私の直接体験でも中小企業経営者で四柱推命、気学、風水、命名等々を活用して企業経営に反映している人は少なからずいる。もちろん取締役会や社員の前ではそのようなことはおくびにもださない。

このようにさすがに国家や企業の公的意志決定に占い師や占星術師が関与することはないが、政治家一個人として占星術師の門をたたき意見を聞くということはかなり行われているように思われる。
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占いと宗教と伝統医学(2)〜霊感商法とカルトを排除しよう〜
占いは宗教や医学と表裏一体のものとして発達してきたのは事実である。インド占星術というと宗教的な印象をもつらしいが、インド占星術だけでなく西洋占星術も中国系占術等すべての占いは宗教的背景をもつ。困るのは高度の精神性をもつ伝統的宗教とカルトと混同する巷の風潮である。宗教的伝統をもたない日本人はこの点実に無知である。インド占星術やヨガは数千年の歴史をもつものである。伝統的なカトリックは中世以来の伝統をもち極めて厳格な規律をもつ宗教である。中国神仙思想に出てくる道教の道士(仙人)なども高い道徳性をもつ存在である。

それに対してカルト教団はせいぜい20〜30年ほどの歴史しかもたない。社会的な問題を引き起こした一連の事件について、どちらがそれを悪用し迷惑をかけたかはいわずもがなであろう。彼等は布教のためというより自らの卑しい欲望実現のためにこれら伝統的占術や宗教の思想を歪め悪用したのだ。私の知る限りでは易学、六壬、風水、手相、インド占星術、それから占いではないが、気功、ヨガ等が、こうしたいかがわしい団体にしばしば悪用されている。じつに腹立たしい限りだ。

カルトは1990年代アメリカにおいて、反社会的な宗教団体を指す言葉として使われるようになった。日本で一般に説明される「カルト」とは少数であっても熱烈な信者が存在するような宗教的団体を指す。 教祖が絶対的な権威を持つカリスマとしてふるまい、その教義に排他的な所や反社会的な内容があることが多い。また、教え自体が、教祖の宗教的な信念に基づく思想ではなく、経済的搾取等の自己の欲望のために信者を利用するための表向きの看板に過ぎないことも多い。これがマルチ商法、霊感詐欺商法などと結びつく。

こういう各教団は、まずやわらかい物腰で勧誘し、詳細を知らせず入信させ、実践させていくことでマインドコントロールを狙う。 そして辞めたら不幸になるとか地獄に落ちる等と言われて脅迫する。多額の献金、寄付を強要される。正しい占い師や宗教はこういうことは決してしない。自ら地獄に落ちる振る舞いなどする道理がない。霊感などないのに霊感占い師などと自称して高い壷や墓石を買わせる輩など論外である。こういう行為をするかしないかが真面目な宗教団体か否かを判断する基準になるだろう。

占いや宗教に対して間違ったイメージをもっている人、或いはそういう方面に無知な人は、精神性の高い伝統宗教とカルト、命理を理詰めで追求する伝統的占術と詐欺占いとの区別がつかない。そのために妙な宗教やインチキ占い師に簡単に騙されてしまう。それが社会問題になると、今度は精神性の高い伝統宗教や命理を真面目に追求する伝統的占術までもが、味噌も糞も一緒にされて、十羽一からげに否定されてしまう。実に残念というか憤りに堪えない。やはり正統と異端ははっきり区別しなくてはいけないし、カルトや詐欺占い師とは戦わなくてはならない。

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