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8ハウスのカルマを克服する

8ハウスのカルマを如何に克服するかと言う事について考えてみたい。人は自らの不幸を呪い目先の開運法を求める。しかし、本当の開運法とは何だろうか。そんなことを深く考えさせてくれる論文があった。

みちゆうさんという私のインド占星術の研究仲間がworld of lifhthttp://jyoti.blog108.fc2.com/blog-category-5.html)というブログの中で「人生をかえることは自分がかわるということ」(2011105日)という最良の開運法について書いている。以下に引用する。

多くの人は苦しみや悩み、病気が起きた時、「いかにしたら」解決できるかを考える。しかし、本当に大切なことは「なぜ?」だと思う。原因があって結果があるのだから。「なぜ?」を問い、自分を深いとこで見つめ、自分自身を変えることをする。それが出来る人は、人生は歳を重ねれば重ねるほど、良い方向に幸せなものに変わっていく。

「いかにしたら」で考える人はとりあえず自分が変わることではなく、結果だけを良くしようとする。苦しみから逃れるために、ストレス発散してくれるものを求めたり、表面的な解決法を探す。そうゆう人は深い部分で自分に問題があることから逃げたい、認めたくないのだと思う。そうするといつまでたっても問題は解決しないし、病気なら病気はよくならない。歳を重ねるごとに人生は辛いものなってゆく。

人生を良くするために大切なことは「なぜ」を問うことだと思う。原因を見つけて、それを素直に受け入れ、今までの自分を手放すこと。苦しんいる人ほど、自分が変わることを拒む、自分が変わることを拒むから苦しむのだと思う。自分が変わることを素直にできる人は幸せになってゆけるのだと思う。

彼のこの議論を占星術的に発展継承するならば、こうした人生に対する態度・マインドは「8ハウスのもつカルマを如何に克服するか」という論につながると思う。8ハウスはインド占星術では最凶最悪のドゥシュタナハウスである。象意をざっとあげれば、寿命、研究、秘密、突然、不規則、トラブル、遺産、名誉の失墜、罪、懲罰、残酷な行為、苦悩、慢性病等々寿命、研究、遺産を除いておよそろくな意味はない。しかしこの8ハウスは次の9ハウスのもつよき意味(宗教性、倫理性、深い知恵、慈悲の行為、幸運等々)をもたらす為にどうしても一度はくぐらなければならない人生修行の道である。

8ハウスは一口で言えば煩能のハウスである。人はなぜ苦悩するか。それは自らの我欲への執着から生じる。その煩能の火が消せない時、人は目先の利益、刹那的な快楽を追い求めようとする。そのあまり他人の果実を強奪したり努力なしの成果を追い求めようとする。それでも欲望が満たされない時、人は犯罪に走る、他人を苦しめる。或いは失望の結果、自殺を図ったり鬱病になる。そしてひどい病気になったりする。(ダシャーの強い時期はそうした我欲、我執も一時的に手に入れられるが、そのつけはダシャーが切り替わった時必ず支払わされる。つまり天罰や懲罰をうける。)

それを克服するのは我欲を捨てることである。自分が何に執着するから欲が捨てられないのかよく内省することである。そこに瞑想修行の意味がある。そこで自らのあるがままの姿を認めそれをまず捨てることを心掛ければ次のステップが開ける。この段階で人は一つのカルマを克服できる。それが8ハウスの煩能を捨て、9ハウスの高徳な行為や精神性に移行するプロセスとなる。

そして9ハウスの象位に「幸運」がある。この幸運は我欲や執着の追及の結果手にする醜い物欲ではなく、功徳、善行、慈悲の行為の結果、神より与えられる恩寵である。人はこのことを深く悟る時、それがある種のカルマが解ける。それが最大の幸運としてかえってくる。インド占星術は風水や方位、拓日法を否定はしない。正しく使えばそれなりの効果はある。しかし、8ハウスのカルマを克服する徳のある生き方こそ、どんな風水よりどんな占術的開運法よりすぐれ開運法であると、私は信じる。

信じるというより、今までのインド占星術の研究鑑定の結果にもとづく真実であると言う方が正しい。それを示す検証例についてはこれから具体的にその事例を紹介していきたいと思う。

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占星術は神の科学である
 私が昨年12月に受講した国際講座の中で、最も印象深かったのが標題のこの言葉である。国際コースの最初に講座を担当されたアイサック先生がまずこう切り出した。「あなたは何のために占星術を勉強するのですか?」そして受講生一人一人にその学習動機を質問してきた。そのアイサック先生がコースの最後の締め括りの講座も担当され今度はこう切り出した。「Astrology is a Science」即ち、占星術は科学であるとまず言われた。然らば科学とはどういうことか、科学は因果関係(Cause & Results)がはっきりしている。そしてその因果関係は同じ条件のもとでなら繰り返しが可能(replicale)であると、明確な口調で言われた。更に続けて言うには、ここまでなら物理学を始めとする自然科学はみな同じである。そして科学は通常、目に見える(visible)事柄のみを対象とする。しかし占星術は、仕事や健康等目に見えることも対象とするけれども、同時にカルマや因縁のような目に見えない(innvisible)事柄も対象にする。つまり「占星術は神の科学である」Astrology  is a divine science)、こう結論づけられた。これは私にとって大変印象的な言葉あった。先生はHIndu Spiritual Astrologyの立場から考えると、6、8、12のドウシュタナハウスは必ずしも悪くないと言っていた。もし私がバワンで再び学ぶことがあるならば、今度はプラシュナとスピリチュアルアストロジーを学びたいと思う。確かにインドに来て占星術を学んでみると、占星術は単なる予測の技術でないと感じることが多々ある。

講義の後の昼食の場でたまたま隣り合わせたアイサック先生と占星術についていろいろな話をした。「ミスターホンダ、あなたは占星術を単なる予測の技術と考えてはいけない。あなた自身を深く知るための道具として考えて下さい」とアイサック先生が言われたので、私はこう答えた。「それは分かっています。しかし、日本では占いや占星術を下手に宗教と結びつけることはとても危険です。ですから、私は占星術と宗教とは完全に分けて扱うようにしています」「どのように危険なのか?」と彼が尋ねるので、「日本では邪悪なカルト教団がよく占いや占星術を布教の手段として悪用しています。悲しいかな占術業界は宿命転換や開運と称して諸々のインチキ商品を売りつける詐欺の温床になっています。そして、世間も占いや占い師についてその様に胡散臭いものと見ています」等々、日本の薄汚れた精神世界の腐敗構造について話をした。アイサック先生は私の話をじっと聞いてから大きく肯き、「事情はインドも同じです。巷にでればそのような詐欺師がうようよしています。その点については大いに気をつけなければいけない」と言われた。「だからこそ我々は真摯な態度で占星術の研究に取り組む必要があるのです。魂の浄化と向上の為にのみ占星術を活用しましょう」とつけ加えられ、私に名刺とメールアドレスを教えてくれていつでも話をましょうと言ってくれた。実は私はこの会話がインドに来て一番印象に残っている。

    ヴィシュヌ神
vishunu.jpg日本ではまったく知らなかったが、ラオ先生は毎週水曜日の夜は必ずVishunu-Sahasranama Recitation」を行い、占星術を学ぶ学徒には必ずこの儀式に参加させる。しかも2時間近くに及ぶ。私はまさか占星術の勉強の後でこのようなマントラ修行をするとは夢にも思わなかった。そしてその後の夜毎の食事は野菜のみだった。どうしてベジタリアンになったのかその事情は近々またブログに書くつもりだ。ベジタリアンになりたくてなったのではなく、そうならざるを得なかったのだ。朝から夕方まで占星術の勉強、その後はマントラ修行、そして菜食。自分で望まなくても、そういう生活を強いられたというのはある意味で修業の機会を神より与えられたに等しい。まさに占星術の学徒にとって、占星術は神の科学でなければいけないのだ。ヴィティアバワンの先生方の高い研究能力と予言能力は、実はこうした高い精神性に裏づけらているものだと言う事がよくわかった。
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スピリチュアルな鑑定経験〜ヴィムシャムシャ〜
先日、面白い鑑定経験をした。事前に聞いた誕生日に従って分析した
占断結果がまるで当たらなくて正反対の事を言ってしまった。私の占いは「黙って座ればピタリと当たる」と言ったような神技的な的中はしないが、そう大きくはずすことも普通はない。インド占星術の技法は数多いので初心者がこれを習得するには時間がかかる。その代りいったん覚えてしまえば、法則に沿ってそのまま読んでいけばいいので、誰もがある程度までは読んでいける。霊感など必要ないし、そう大きく外すこともない。しかし、この時ばかりはダシャーの読みがまったく外れていた。

こういう時はまず誕生日、特に誕生時間はこれで正確か改めて確認する。これについては間違いないという返事だった。そして分割図を注意してもう一度吟味するとよい。その時、宗教性を示す20分割図が大変にいいことに気づいた。ラーシチャートにも強いサンニヤシヨガがあった。そこで宗教的霊的修行をしているかどうかを尋ねてみた。そうしたらここ10年以上にわたって毎年インドのアシュラムに行って修行し、今現在も毎朝瞑想を欠かさずするとのことだった。その返事で私はあることをふと思いついた。深い霊的な修業を積んだ人は、ダシャーはラーシチャートではなくナヴァムシャチャートの方がよく当てはまるという法則のことである。

aiwali2
ディーワリーのマンダラ

そこでその場で、ナバムシャチャートの惑星が示す機能的吉凶をもう一度分析し直した。特定のダシャー期に現象化した過去の事柄を推測してみた。そうしたら今度はちゃんと当たっていたのである。

話には聞いていたが。こういう霊的修業によって運命のあり方が現実に変わるということを、目の当たりに見せつけられていささか驚きを覚えた。実を言うと、インド占星術を習い始めた当初は、輪廻転生だのカルマだのヴェーダ思想などと言うものは、ジョーティシュを学ぶ為の思想的道具位にしか思っていなかった。しかし、鑑定経験を積んでくると、実に神秘的な経験をすることがしばしばある。不思議な感に打たれる。インド占星塾で出している「星を見つめる聖者達」のような事柄が現実に起こる。だから、最近ではヴェーダ思想は人間存在の本質に迫るものという確信がもてるようになった。

よく当たる占術というのはいくつかある。しかし、所詮それらの占術は俗世間的な事柄の範囲までしか扱わない。インド占星術のようにスピリチュアルな現象をここまで精密に取り扱う占術は他にないだろう。インド占星術が最も得意とする分野である。
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日本型インド占星術の可能性〜サンニヤシヨガの出方〜
日本型インド占星術と言うと、奇妙に聞こえるかもしれない。だが多くの人の鑑定をしていて、インドではそうなのかもしれないが日本では必ずしも当てはまらない、という事象によく出くわす。例えば、サンニヤシヨガ等はその代表的な例である。

サンニヤシヨガは俗に「出家のヨガ」と呼ばれる。それは世俗的生活を捨てて出家することを意味する。代表的な例が、4つ以上の惑星がケンドラかトリコーナののハウスに惑星集中している場合である。それ以外のサンヤシ・ヨーガの代表的な例として、

〃遒火星の星座に在住し、土星からアスペクトされている。
月が土星の星座に在住し、火星からアスペクトされている。
ケートゥが12室に在住し、そこに5、9室の支配の木星が
 アスペクトしている。
等々が挙げられる。

サンニヤシヨガ
サンニヤシヨガ
(月が牡羊座に在住し、土星から10番目のアスペクトのケース)

このようなヨガの持ち主は、もちろん日本人でも多く見られるが、実際に「出家」している人にまだ会ったことがない。実際に、宗教活動やボランティア活動をしている人は、むしろ6室、9室、火星等に特徴がある人が多いように思う。

だがサンニヤシヨガの持ち主とよく話しをしてみると、確かに出家気分の人は多い。「隠遁生活への憧れをもちつつも世俗的生活を続ける」、「職業生活の中で求道者的生き方をする」、「武道家や芸術家のように、いわゆる「道」を追求する」そのような生き方をしている人達である。

日本はインドのように気楽に出家できるような社会環境、家庭環境にはない。勢い、世俗の生活を続ける中で、求道者的生き方をする選択することになるのだろう。

そのような場合、インドオリジナルでは「出家のヨガ」であるかもしれないが、日本のローカルルールでは本質的見方は維持しつつも、もっと日本の伝統、価値観にあった見方をしてもよいと思う。

これは結婚についても言える。私の鑑定経験では、ダシャーが示す「結婚の時期」とは法的に結婚手続きをした時ではない。男女が一つ屋根に住み始めた時に、7室、7室の支配星、金星が絡んでくる。つまり、同棲や事実婚は結婚の時期として見てよい。インドのように古典的男女関係の倫理観を維持している国とは違うのである。

あと日本独特のインド占星術と言うと、宿曜経がある。羽田守快先生あたりの密教占星術の本を読むと、大部分の宿曜の法則は、インド占星術の「ナクシャトラ」や「パンチャンガ」の技法に対応していると思う。しかし、中には現代インドでは既に失ってしまったナクシャトラの技法が、密教占星術に残っているような気がする。(ここら辺はこれから勉強が必要なので断言する気はない。一つの可能性である)

こんな要素を取りまとめて、日本独特のインド占星術が構築できれば面白いと思う。一つの願望に過ぎないが、アメリカや近隣のアジアの国に輸出できる位の完成度をもつ日本型インド占星術ができればいいなと思う。
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ヒンドゥー・スピリチュアル・アストロジー(1)
ヒンドゥー・スピリチュアル・アストロジーは、ユング心理学や深層心理と占星術との関係性に着目している心理占星術とは異なる。更に深い宗教性、神的色彩を帯びている。念の為に断っておくが、宗教性と言っても、怪しい系、オカルト系、ご利益系、カルト系とは一線を画するものである。

通常、占いで吉凶を論じる時、その価値基準は、名誉、地位、権力、財産、よき家庭、健康を得るかどうかにある。しかし、ヒンドゥー・スピリチュアル・アストロジーはそういう価値観で吉凶を論じない。飽くまで本人の霊性を高め、最終的解脱に少しでも近づくかどうかで見ていく。ここでは世俗的価値観との逆転現象が生じる。

聖者
星を見詰める聖者達

ラオ先生の「星を見つめる聖者たち」の中の記述には、「スピリチュアル・アストロジー」の視点から多くの事が語られている。例えば、ドゥシュタナと呼ばれる6,8,12ハウスは、通常の占星術では凶意と解釈される。しかし、スピリチュアル・アストロジーでは6ハウスの争い、病苦、8ハウスの苦悩、トラブル、12ハウスの損失、挫折はいずれも人間が精神性、霊性を高める上での大切な契機を与えてくれると考える。だから必ずしも忌むべきものではないのである。つまり、ここで価値観の逆転現象が起る。

例えば、同じハウスに4つ以上の惑星が在住する出家のヨガと呼ばれる「サンニヤシヨガ」は時々みられるヨガである。但し、最終解脱者になるといわれている、ケンドラハウスやトリコーナハウスに10ハウス支配の惑星を含む惑星集中の例はまだ見たことがない。4惑星による惑星集中があっても、それが11ハウスであったりすると、現世的欲望から抜けきれないままで終わってしまう。願望成就のハウスである11室が強力であることは世俗的価値観でみればよい事である。しかし、スピリチュアル・アストロジーはそのような見方をしない。かえってそういう世俗的欲望の強さが、悟りや解脱の妨げになると見る。だから、サンシヤシヨガがあっても、ハウス支配が悪かったりアルタトラインやカーマトラインが強いと決して悟りに到る事はない。そういう例が大部分である。

又、この本の中に、ラオ先生の多くのヨーギーはヴェーダーンガとしての占星術を諦めないよう彼を励ましたという記述がある。占星術で報酬をぶったくる占星術屋になってはいけないとも説いている。インド占星術は別名、ジョーティシャと呼ばれ、古代インドのウェーダ(Veda)というヒンドゥー教の聖典の機関と言われるヴェーダンガ(Vedanga)の一つである。ヴェーダとは"知識"という意味のサンスクリット語で、語源は"見る"という意味の「ヴィド(vid)」に由来する。リシ(Rshi)と呼ばれる悟りを開いた人が見た(認知した)宇宙の真理とされている。そのヴェーダを認識し、保存し、活用する為の6つの学問体系(Vedanga)の中の一つにジョーティシュがあり、「ヴェーダの目」と呼ばれている。そのような意味で、インド占星術はヴェーダ思想の一環として存在するものである。単なる、当てものや金儲けの手段としての「占い」ではない。カルマを無視したムフルタ(開運法)の技法などこの世に存在しない。

具体的には、占星術とは生計を立てるためのものではなく、人生の目的と意味を知る為の超科学でありヴェーダンガとしてのインド占星術はそうあり続けなければならないと教えている。更に、この本では、占星術はサーダナ(精神鍛錬)の一部として扱うべきである。しかし、修行が進むとサーダナの障害となってくるので、最後には捨てるべきものである、という記述もある。インド占星術の研究者は、金銭やご利益主義に走るのではなく、ヴェーダ思想に則った行動を取ることを戒めとしたものであろう。インド占星術が少しずつでも世の中に浸透していく事自体はよい事だが、本来の姿から逸脱することのないように精進したいと思う。
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