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日本オリジナルの占術は不可能なのか

明治時代の日本は外国の先進文化を取り入れようと、盛んに文物の翻訳を行った。それを必死になって吸収した後に始めて近代日本の先進文化、科学技術が育つようになった。経済学者のポールクルーグマンは日本経済を高く評価している人だが、その理由として,

日本は他のアジアの国のように外国から技術資本を導入するだけではなく、自ら内発的に技術を生み出し生産を行う国であることを挙げている。

そういう意味では日本の占術業界はいまだ明治時代のレベルだ。いまでも盛んに占いの翻訳本が出され、それに対しては口うるさい占い愛好者も何も言わない。この本はリリー様の本なるぞ、この本はレンモンドロー様の本にあらせられる、この本は天竺のラオ様の聖典であるぞよ、とばかりに徒然草での兼好法師の表現を借りるならば、日頃口うるさい京雀も何も言わない。まさに水戸黄門の印籠みたいなものである。翻訳本がいけないと言っているのではない。労苦の多い立派な仕事だ。現状の日本の占術業界では、始めの一歩としてそうせざるを得ないだろう。でもそこから脱却したものが欲しいのも事実である。

日本の中国系占い師は、しばしば台湾詣でをしては盛んにネタを仕入れている現状がある。海外の占星術大会や研究会に出席しては、新しい話題を仕込んでくる占星術師も多い。それだけ情報量が豊富ということだろう。実際に、西洋・インドを問わず海外の占星術本を読んだり、通信教育、オンライの講座を受けてみると、日本とは比べ物にならない位の圧倒的な情報量に驚く。もちろん質も高い。語学力の問題が一番大きいが、正直なところ消化不良に陥るし、消化するのに時間がかかる。

占術業界の海外交流というのは端緒に就いたばかりなので無理はない。それにしても日本発の占術原理がでてきてもいいと思う。それともまだ時期尚早ということなのだろうか。そういう意見もある。しかし占いの解釈適用には国や文化に応じた独自性がある。「結婚」一つを考えてみても、中国人の物質主義や権威主義、欧米人の個人主義的価値観やインド人のカーストを前提とした社会規範を日本人にそのまま当てはめることは不適切である。全体的レベルではとても対抗できないが、特定範囲に絞るならば、むしろ日本オリジナルの占術原理がそろそろうみ出されてもおかしくない。それはかなり困難な道かもしれないが、鑑定依頼者(顧客)からそういうニーズがあることは事実だ。

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血液型民族学(1)
世界中で血液型占いというのは日本だけだそうである。たいていの外国人は日本に来て、血液型占いなるものがあるのを知ってびっくりするらしい。血液型によって性格に違いが出るかどうかは定かでない。しかし俗に、A型は神経細やかで緻密、B型は自由奔放で独創的、O型は自己主張が強くて学習能力がある、AB型はA型とB型の中間でまわりからその性格をよく理解されないなどと言われている。

今までの私の経験でもA型だから必ずしも几帳面ではないしB型だからといってずぼらでもない。O型でも繊細でおとなしい人は大勢いる。性格を4つにだけ分類するのはやはり単純すぎるだろう。だが経験上これだけは言える。人と待ち合わせをする時、寸分たがわず来る人とその逆に30分以上平気で遅れてくる人はたいていB型である。B型は自由な気質だけにそういう風に極端に出るものらしい。語学の好きな人と歌の好きな人にはO型の人が多い。日本人の血液型分布はA型4、O型3、B型2、AB型1の比率であるが、語学好き、歌好きのグループで統計を取ってみると、この比率を明らかに破っている。O型の比率が圧倒的に多い。O型は自己顕示欲が強いというか、表現力に富むからであろうか。

血液型で面白いのは、個人の性格より民族性によく特徴が現れることである。欧米人にO型が多いといわれるとなんとなく分かる。欧米人はやることが大雑把だが行動力があり自己主張も強い。又彼等の文化は論理明晰である。これなどはO型の人の特徴である。日本人にA型が多いといわれると大いに頷ける。日本文化の特徴である繊細さ、気配り、配慮、間接的表現というのはやはりA型文化なのだ。日本人以外の大陸系アジア人にB型が多いというのも納得である。

どこかの評論家が言っていたが、日本は東アジアのイスラエルだと言う。イスラエルは周辺をアラブ諸国に囲まれているが、その民族性や文化は周辺の国々と著しく違う。日本も周辺諸民族とは民族性や文化がまた著しく違うという意味のことである。たとえば北方の中国人はB型が多いという。道理で中国政府の政策は常に左右に極端にぶれる。今まで右を向いていたかと思うと急に左に舵取りをとる。筋を通そうするA型民族の日本人にはご都合主義にみえるし、中国人の戦略的に動きを理解できない。同時に中国人も建前と本音とか普段はおとなしくても追い詰められると捨て身でかかってくる日本人の気質を理解できない。だから同じ東アジアの人間でも相互理解ができないのだろう。そういう風に考えると、国際関係の底流にある文脈がなんとなく読めてくる気がする。
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「江戸の占いとおまじない」を楽しく読む
本屋の占いコーナーで偶然見つけた本だが、なかなか面白しろかったので一気に読んでしまった。当たる当たらないとか占術的根拠がどこにあるとか言うことは考えなくてよい。そういう堅苦しい事は抜きにして楽しく読む本である。江戸の庶民がこんな風に「占い」を楽しんだと言う事が伝わってくる。この本は「永代大雑書萬暦大成」という占い書からの抜粋である。この本の監修者によれば、まじめでおかしい江戸の占いを今に伝える本と評している。江戸の占いの特徴は「人生を楽しむ」と同時に「人生を諦めない」処世訓も含まれているとも付け加えている。

中を読むと、皇帝四季占い、弘法大師四目録、人相指南秘訣、六十甲子五行、男女相性図説、守り本尊と生年吉凶、八卦、秘伝十一占、その他の雑占等々が含まれている。毎年新春に出版される「暦」の内容とかなりの部分が重複する。

江戸占い

この中には今に伝わる占いも含まれている。人相学等その代表だろう。財主之相、貧窮之相、下賤之相、淫乱之相等々いろいろな人相が紹介されていて面白い。六十甲子五行は日本の伝統的なタイプの四柱推命の本には必ず含まれている納音五行がこれに当たる。甲子と乙丑は「海中の金」であり、これこれの性質でうんぬんと言うようなことが書かれている。「秘伝十一占い」は占う事柄を「失せ物」「待人」等十一に分ける。まず占う事柄を決め、占った時刻を干支に置き換え、そこから決まった定数にあてはめて卦を得る。もちろん断易ではないが、断易をさらにやさしく簡素化したような印象をもつ。しかし、どの占いに相当するのかなどという野暮なことはここでは考えない。

雑占が又興味深い。フロイト、ユングが潜在意識をとなえる前、すでに江戸では夢判断という占いがあった。一富士二鷹三なすびが吉兆を表すという夢判断がすでにある。月蝕や六曜星の雑占等明らかにインド占星術起源である。でてきた結果が悪ければ厄払いのおまじないである。

今日では、人々は太陽占星術の雑誌記事を読み、タロット占いに心ときめかせ、占いコンテンツを楽しむ。結果が悪ければお守りを身につける。その原型ともいえる占い風俗がすでに江戸にはあったのである。
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インド占星術とヴェーダ思想
今日は正月なので、日頃書かない思索的な話を少し書き込まをさせていただく。

インド占星術と言うと、何か宗教的であるという印象、感想をもつらしい。確かにインド占星術は、バラモン教・ヒンズー教の根本思想であるヴェーダ思想の補助科学として、明確に位置づけられている。

当初は祭司重視だったヴェーダ思想は次第に知的経験を蓄積し、最終的にはウパニッシャド哲学として完成する。ウパニッシャド哲学の根本思想は梵我一如の思想にある。「梵我一如の思想」とは宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と個人存在の本体であるアートマン(自我)があり、その一致をめざすことである。

ウパニッシャドの思想で重要なことは、祭式を行うことによって天国に生まれることではなく、業に基づく輪廻から解脱することを人生の究極の目標とみなしている。そして宇宙の根本原理ブラフマンを知り、自我をブラフマンそのものに帰入する所に理想的境地を見いだした。このような境地を「解脱」と呼んでいる。「業、輪廻、解脱」という思想は、バラモン教・ヒンズー教だけでなく、仏教、ジャイナ教等インド思想全般の共通要素と考えてよい。

その前世からの業とは何かを知る手段がジョーティシュ(光の科学)と呼ばれるインド占星術であり、解脱の手段としてあるのが瞑想やヨガである。解脱に向けての修行を行う際に健康であることが必要になるので、ハタヨガやアーユルベーダ医学が貢献する。神々への讃歌・詠唱・真言がインド音楽を形作る。又、星の位置の正確な計算が数学・天文学の発達をもたらしたのである。このようにインド占星術は、ヒンズー教、ヨガ、アーユルベーダ、インド音楽、インド数学等々、インド精神文化の一環として位置づけられている。

だからインド占星術にはそもそも「遊び」的要素はない。占い文化の中に遊び的要素があることは認める。しかし、それをインド占星術に当て嵌め様とすれば、インド占星術はその精緻な体系と価値を失う。だから私はインド占星術に関しては、妙な商業主義は容認したくない。儲け主義だけでインド占星術に参入しようとする輩とは一線を画す。インド占星術学習者はあくまで真理追究の学徒であることが大切だ。

宗教文化と対立衝突をしてきたか、その体系の一環として発達してきたかと言う点で、同じ占星術でありながら、インド占星術は西洋占星術と違う。キリスト教会と常に対立の歴史を経てきた西洋占星術と思想面で根本的に違うところだ。同じ星の原理に基づいた占いでも、西洋占星術は個人主義の色彩が色濃い。これに対してインド占星術はその人生観、生活観、家族の重視の価値観等、極めて東洋的である。

ヴェーダ思想を必ずしも信じる必要はないが、インド占星術の学習者はこうした思想的背景は勉強した方がよい。なぜなら、ホロスコープのリーディングの過程でしばしばこうしたインド思想原理が顔を出す。単なる理屈だけの観念論でなく、それが実際に人生の中において現象化する姿を突きつけられるとしばしば驚愕する。そのような意味で、リーディング能力を深いレベルまで高めるには、こうした背景をよく理解していた方がいい。

宗教を文化的背景として明確に意識しない日本人は、こうした考え方に慣れていない。ヴェーダ思想を踏まえながら鑑定結果を言うと、まるで私自身の個人的価値観や信仰に基づいていると勘違いする人もいる。私自身は何の宗教団体にも属していないし、ヒンズー教だけでなく、イスラム、キリスト教、儒教、神道等客観的にみているつもりである。ただ、「インド占星術で精度の高い鑑定を行うならば、ヴェーダ思想の価値観にもとづいて判断するべきだ」という前提があるだけである。私自身がヴェーダ思想の信奉者であるわけではない。そこの所は、鑑定の為の一種のテクノロジーと割り切って考えている。

そもそもすべての占いの背景には宗教背景がある。中国占術の根元である易経の思想など儒教思想そのものである。儒教のもつ「男尊女卑」「立身出世」の価値観を中国占術はもっている。現世ご利益を追求する風水は、道教の影響を受けている。日本人は儒教や道教の思想を生活の中で生まれながらに自然に受け入れているので、中国思想による判断に違和感を感じない。又、近代以降西洋文化と接触受容が著しいのでその文化背景もある程度理解している。しかし、インド思想には慣れていない。日本の仏教は中国大陸経由で伝来したので、そもそもが「漢化された仏教」が入ってきた。だから、インドオリジナルなものとはかなり違う。その意味でヴェーダ的な考え方に慣れていないし、いくぶんか心理的抵抗感がある。それだけのことである。

キリスト教で「愛」を説き、儒教で「仁」を説くように、インド思想が業(カルマ)、輪廻、解脱を価値観としていることを理解して欲しい。インド占星術だけが宗教的であるわけではない。ましてやカルトなどとは一切無縁である。

追記:例の悪口専門家=松岡秀達、通称北斗柄によれば、インド占星術が今なおカーストが健在なインドの価値観を押し付けてくるような占いに見えるらしい。彼のことだから揚げ足取りで揶揄していることと思う。もし、本当にそう見えるとしたら、彼はインド文化思想についてはかなり無知蒙昧な人だ。百歩譲って仮にそうだとしたら、中国系占術は、「儒教的封建道徳の立身出世主義の価値観を押し付けてくる問題ある占い」ということになる。つまり男尊女卑、拝金主義にまみれた近代では通用しない価値観である。松岡秀達は奴隷根性の封建道徳を説く占いの走狗である。
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占いの国別特徴(2)〜頑張れ、日本型占術〜
日本文化の特徴の一つに「単純化と精密化」があげられると思う。海外から伝わった複雑な文化の中のある一つの要素を取り上げそれを単純化する。その代わりそこの部分についてはオリジナルな文化にない独自のものを付け加えて精緻化する。そして実務的に使いやすいものにする。これぞ日本文化の一つの優れた型だと思う。

漢字から創造した「ひらがな」「カタカナ」などよい例だ。少し遅れて入ってきた仏教についても総合をめざす天台教学から禅宗や浄土三部経のみを唱える教え、法華経のみを唱える教えが、総合デパートに対する専門店の如く生まれそこに特化した。真言密教も中期インド密教の教えを守り、後期インド密教であるチベット仏教とは際立った違いをみせる。

戦後日本に伝わった品質管理でも複雑な統計手法を俗に言う「QC7つ道具」を用いる事により単純化した。その代わり、その手法を現場の改善活動に徹底的に活用し大きな成果を挙げた。戦後日本の優れた製品技術、生産技術は、ひとえに小集団活動に代表される製造現場の改善活動の貢献が大きい。日本の経営管理技術は、戦略、財務等は劣るが、こと製造現場とその人材育成に関する限り、今現在もアメリカより優れている。

ところで、最近になって、台湾や共産中国で弾圧・封印されていたさまざまな中国系占術が情報公開され、日本に次々に紹介されるようになっている。その状況を見ていると、日本に伝統的にある占いは、豊富な中国占術の一部又はそれらが多少歪曲されて、かつて日本に伝わってきたかのような感がある。だから伝統ある日本型占術は新たに情報公開された中国系占術に押され気味のような気がする。

ただ「周易」だけは本場中国より日本で独自に発達進歩したらしく、これについては批判的意見は聞かない。確かに北京、天津の大書店で易経の解説本を一瞥して見たが、日本のそれと大差がない。江戸時代の新井白蛾、真勢中州、昭和の加藤大岳氏等の独自の体系化等は中国にはない。私の師だった讃井天祥先生も実占いついては抜群の腕だった。だから周易については日本の方が研究が進んでいるように思う。

気学、家相、泰山流四柱推命、熊崎流姓名学等は、奇門遁甲、陽宅風水学、飛星派風水、紫微斗数、透派、先天八字、命理等の中国系占術を行う占い師からいろいろと批判を受けている。気学は大正時代に園田真二郎氏によって、それまで日本にあった九星、方位等を整理して作られた占いで本来の方位学ではない。本命卦を用いない日本の家相は間違っている。本来の四柱推命は格局も神殺も使用していない等、これらの本を読むとその瞬間は「ふ〜ん、そうなのか」という気持ちになる。事実、最新の新しい中国系の子平(四柱推命)や紫微斗数の著書を見るとなかなかいい内容の本があると思う。もちろんすべてではない。

私は中国系占術については、周易を除いては専門外なので具体的に詳しいことは言えない。「だけど、そんなにぼろ糞に言われるものなのかな?」という疑問が率直に言って湧く。日本人が知らなかったよき理論の紹介があるのは認めるが、だからと言って日本型の占いを全面否定する気にもならない。第一に台湾、香港等を旅行して書店等に行くと、日本人占い師の漢訳された易学、気学、四柱推命等の書籍がずらりと並んでいる。もし、中国系占術の方が圧倒的に優れているのなら、日本のような分家の占術の本など翻訳される筈がない。それに中国書店に並ぶ占術書は日本と同様駄本も多い。中国本だからよいなどと言うのは舶来崇拝も甚だしい。

それから中国占術と一口に言ってもいろいろな流派がある。紫微斗数でも、上機派、大歳派、透派、飛星派といろいろある。紫微と書く派と紫薇と書く派がある。七政四余を専らにする中国人占術家からは紫微など根拠がないと厳しく批判されている程である。日本でとかく話題になる透派は台湾では異端に属する流派と聞いている。四柱推命、風水も又、多くの流派に分かれて百家争鳴の様を呈している。そういう中国系の流派同士でお互いに貶しあいをしている。決してこれが本場の占いだと一概に決めつけられる状況にはない。

それにしても台湾、香港、北京、天津あたりで豊富な漢籍の占術本を目の当たりにすると、すべての占い師ではないが、日本の中国系占い師の手の内が分かってくる。要は漢籍の占い本の内容の一部を「秘伝」と称して切り売りしているだけである。検証も実占例も何もない。情報の秘匿と独占により優位性を保っているだけの話である。だが情報公開が進むにつれて、そういう「秘伝商法」は早晩行き詰まる時が来るだろう。素人でもコツコツと研究を続けている人のサイトなどを見ると、見るべきものが時々ある。そういうサイトが段々に増えてつつある。これは中国系だけでなく、西洋もインドも同じ傾向にある。

だから、たとえ中国方位術の一部だけが伝わってきてそれに限界があるとしても、私は伝統ある日本型占術に対して、中国式に負けないで頑張れと応援したい。日本型占術を中国占術の立場から見ると、おそらく気学は択日派に属し、家相は八卦派に近いものだろう。その立場で考えれば立派な占術の一つである。

気学はそれなりに精緻な体系をもっている占いだと思う。奇門遁甲はもともと戦場で用いる用兵術であり、時間単位のとっさの変化には有効かもしれない。しかし、引越し、家の新築、中長期にわたる方位の影響等では気学は有効だと思う。シンプルだから当たらないのではなく、シンプルだからこそ実践で使えるのである。本来の四柱推命は変通星、格局、神殺を重要視しないものかもしれないが、これらは命式のシンプルな解釈に役立つ。いつ死ぬかという正確な時期が読めないからと言って、即当たらない、役に立たないとは言えないと思う。

私が専門とするインド占星術でもそれが言える。先日、宿曜経の秘儀に属する書籍を読んで見た。読めば、完全にナクシャトラというインド占星術の中の一部の体系である事が分かる。ではあるが、その範囲内ではナクシャトラの秘儀の伝統をむしろ精緻に仕上げてあり、本場のインドでも失われた体系をよく伝えていると思った。秘儀のレベルの宿曜経は決して相性と日取り選定だけの単純な体系ではない。

冒頭の日本文化の特徴は又、日本の占い文化にも当てはまる。伝統的な日本型占術は、起源は中国であっても独自の発達を遂げていると思う。中国占術のある一部のみが伝わったとしても、その範囲内では精緻な体系をもっている。中国占術と違っているからと言ってなんら引け目に感じる必要はない。中国占術だって子平は宋代、紫微斗数は唐〜宋代に新しく生まれた占いであり、その後幾多の変化変遷を経ている。そういう意味では日本のそれが中国占術と同じである方がむしろおかしい。検証あってこその古典である。不備な点があるなら研究、検証して部分修正すればいいだけのことである。もっともっと日本型占術の特徴を出してよい。
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インド占星術と中国系占術の関係(1)
インド占星術と何らかの関係がありそうだと思う東洋系占星術がいくつかある。
まず七星四余、紫微妙斗数、宿曜経、それにチベット&モンゴル占星術だ。我が家にあるそれらの本をざっと拾い読みするとインド占星術と基本体系がよく似ている。ただこれらの占術には中国独特の陰陽五行思想や干支学等が入り込んでより複雑なものになっているように思う。

最初に断っておくが、私はこれらの占術を特に深く研究した訳ではない。全体のイメージとしてそう感じると言っているだけである。これについてあまり専門的に突っ込みを入れられても具体的に答えることは出来ない。このテーマを深く客観的に研究したら一生ものになるだろう。これに関しては、多分そうでしょう位に気楽に書いているに過ぎない。そう断り書きを入れても、なおかつ妙な突っ込みをしてくる癖の強い輩がこの業界にはどういうものか多い。四柱推命でいう偏印の持ち主であろう。だから、このブログに関しては最初から書き込み禁止にしておいた。

七星四余は最近になって知れてきた実星を使用する中国占星術だが、台湾本で概略みる限り、言葉こそ漢語だが体系はインド占星術と大変よく似ている。実星を使用する所はキリシャ占星術だが、星宿に関してはインド起源だ。ここで使われている「格局」という言葉はインド占星術でいう「ヨガ」を連想させる。七星の実星を奇門遁甲と結びつけて開運法を説いている部分もあるが、これもよく読むとインド占星術でいうムフルタ(エレクション)に相当する。

これらの実星の動きを基にしてはいるが、実際の星の動きとは異なる暦により命盤の位置を決め、更にそこに多くの架空天体を加えたのが紫微斗数なのではないかと思う。紫微斗数で用いている三方四正という見方は、インド占星術で重要視しているトリコーナ(トライン)と対向アスペクトのコンビネーションに相当する。甲級主星に星の力量をつける廟旺利陥の考え方は、インド占星術の高揚ムーラトリコーナ、減衰の考え方に一脈合い通じる。紫微占機法は要するにプラシュナ(ホーラリー)に相当する。ただ、大限の計算方法、飛化四星の概念等は紫微斗数独自のものだろう。

宿曜経については明らかにインド占星術が基になっている。インド人僧不空三蔵が日本人留学僧空海に伝えたものである。インド占星術でいう純粋太陰暦による「ナクシャトラ」(月の星宿)が、中国に入って太陽太陰暦の基で「星宿」になったと推測する。39の秘法とそっくり同じ法則がインド占星術にある。面白いのは最近になって公開されるようになった宿曜の秘伝を読むと、ナクシャトラだけでなく広くパンチャンガ、ホロスコープ、12サイン、ナクシャトラトランジットまで入り込んでいる事が分かる。更に方位や家相の考えまであるとは知らなかった。これらがインド風水(ヴァシュトゥ)に由来するのか中国風水の系統なのかはちょっと分からない。

チベット占星術も半分はインド占星術だ。チベット占星術の英文書籍を読むと、その中の「カルツィ」と呼ばれる部門はインド占星術そのものだ。もう一つの構成部分である「ナクツィ」は中国占術の内の、断易(周易とは思われない)、干支学、九星、陽宅風水学等が入り込んでいるようだ。チベットの北に位置するモンゴルの占星術もチベット占星術とおおむね体系は同じである。

私はインド占星術に専念するつもりなので、上記の占い及び相互の関係性の経緯について中途半端に手を広げる気はない。そもそも占い師が片手間に書く占い史などは、主観性が強すぎて歴史学としての信頼性に欠ける事が多い。でも、専門の科学史家か文化史家が占いとしてではなく、文化交流史として客観的に取り組んだら面白い研究テーマだと思う。もちろん一生ものだろう。まあ、これは確実だろうと思う所だけは今後とも書き加えていくが、全体としては歴史家の手に委ねるたい。
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