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占星術評伝(8)後醍醐天皇〜浮沈の激しい生涯〜
歴代の天皇の中で、後醍醐天皇ほど浮沈の激しい生涯を送った天皇はいないだろう。数度にわたる島流しにめげず遂に鎌倉幕府を倒したかと思えば、足利尊氏の謀反にあい吉野に逃れて、南北朝の2大皇統の対立を繰り返し遂に吉野にて崩御した。日本史文献でたまたま誕生日が分かったのでホロスコープを分析してみた。生時については曖昧な点が残るので、ハウスを無視して大まかな人物像だけをみてみた。

後醍醐天皇
後醍醐天皇のホロスコープ

後醍醐天皇D9
  ナバムシャチャート

ラーシチャートをみると木星は射手座にアスペクトバックし、高揚火星は牡羊座にアスペクトバックしている。野心、権力欲がが強く現実に政権奪取の行動に出る。しかしがケートゥが参加しているため、その達成手段は。常に宗教的呪術的である。因みに彼の側近には真言立川流で有名な文観上人がいる。片側アスペクトではあるが木星は月に働きかけて完全な形ではないがガージャケサリヨガを作る。蠍座に三惑星があるので直感力に優れ、孤独にも強い。土星も水瓶座にありムーラトリコーナである。ここにラーフがアスペクトするので伝統を無視した過激な現状変革(武士からみれば保守回帰であるが)を試みた。

ナヴァムシャは火星、水星、木星がムーラトリコーナ、土星がアスペクトバックと大変強力である。ナバムシャでも木星は射手座にあり月と対向アスペクトを作りガジャケサリヨガを作る。射手座、木星、ガージャケサリヨガが後醍醐天皇の人生を特徴づけている。理想主義的なかつ過激な革命的行動、最終的に敗れはしたものの、芸能人の芸名にまでつけられてその名声は今に至るまで続いている。まさに「永続する名声」である。

後醍醐天皇D10
    ダシャムシャチャート

更にダシャムシャまでみていくと後醍醐天皇の生涯の輪郭はかなりはっきり見えてくる。太陽高揚、土星高揚で相互アスペクトである。更に高揚火星も雄羊座にアスペクトバックする。皇族の生まれではあるが、お公家さん気質とはほど遠く、まるで武人のような生涯をおくり最高位まで上り詰める勢いがある。しかし水星ムーラトリコーナでは気が細かすぎて革命家としては必ずしもプラスではない。、また木星、ラーフ、ケートゥと減衰し運命の妨害、障害、抵抗も激しいまさに浮沈の激しい人生である。全体として木星が過激に働きもう少し温厚さがあったらまた違う人生も歩めたであろう。
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占星術評伝(7)松平容保
今NHK大河ドラマで新島八重、山本覚馬という明治期に京都で活躍した会津潘出身者の物語を放送してる。その会津藩の中心人物が会津藩主松平容保である。容保は1836年の生まれで、不思議なことにこの年は明治維新に関わる大物が数多く生まれている。坂本龍馬、小松帯刀、土方歳三等である。 

松平容保は1836年に江戸で生まれ10歳で美濃高須藩から会津藩に養子に入り16歳で家督を継いだ。そこからは彼は数奇な運命に弄ばれる。京都守護職という火中の栗を拾う汚れ役を幕命により負わされ明治維新の混乱に巻き込まれることになる。京都で討幕派と激しく争うが、最後は薩長の陰謀に敗れ、戊辰戦争で西南諸藩の激しい砲火に晒されることになる。明治維新後は日光東照宮の宮司を勤めて生涯を終わる。孝明天皇に厚く信頼されていたにもかかわらず賊軍の汚名を着せられたことがよほど悔しかったらしく、彼は孝明天皇からもらった感謝状としての御震撼を死ぬまで肌身離さずみにつけていた。敗軍の将はついぞ兵を語ることはなかったが、この行為に彼の思いのすべてが語らrていると言えるだろう。

松平容保
  松平容保のチャート

上図は松平容保のホロスコープであるが生時は不明である。前述で1836年は明治維新に関わった人物が多く生まれた年と書いたが、なるほど改革を意味する土星が高揚の位置になる。火星も高揚し戦う意思は十分にある。金星が高揚してる人も意外な位気が強い。生まれた日時によっては改革、革命を志す人物が生まれてもおかしくない。

しかしこのチャートは悲劇の会津公と言われる割にはよいチャートである。普通に考えれば賊軍第一の頭目として切腹になってもやむを得ない立場にもかかわらず、家老の萱野勘兵衛が敗戦の全責任を負って切腹したので彼は死罪を免れている。維新後、一時期は蟄居するが、嫡男の容大が家名存続を許されて華族に立てられている。

容保はそれから間もなく蟄居を許され、明治13年(1880年)に日光東照宮の宮司となり正三位まで叙任する。同じ会津藩士でも、斗南に入封されてから飢えの為に餓死したり、西南戦争で抜刀隊員として戦死した人物と比べれば非常に幸運である。腐っても鯛というか生涯エリートコースを歩んだともいえる。宮司という立場はいわば出家同然ともいえるが、山羊座にできているサンニヤシヨガがこれをよく物語っている。

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占星術評伝(6)〜坂本龍馬暗殺時のイベントチャート〜
NHK大河ドラマ「坂本龍馬」が11月28日に最終回を迎える。ところで坂本龍馬が誰によって暗殺されたかは謎とされている。龍馬暗殺の犯人にはいくつかの説がある。以下がよくあげられる犯人説である。

 ゝ都見廻組説 
◆/契饒叛癲  
 紀州藩説
ぁ‥攤竿誉
ァ〇摩陰謀説

,浪馗堵庸朮爾竜都見回組佐々木只三郎、渡邊篤、今井信朗以下数名の人物によって行われたという説で、いろいろな歴史的資料に基づくと、これが一番信憑性が高いと言われている。

△凌契饒叛發眛圧,箸靴討禄淑に考えられるが、やはり資料から見る限りこの件に関しては関与していないとされている。この事件を知らされて新撰組隊士も驚いている位である。

も十分にありうる話で、いろは丸との衝突事件で紀州藩は龍馬から7万両もの賠償金をとられているので恨みは深い。もともと御三家筆頭の親幕藩でもある。しかし、紀州藩内では龍馬暗殺にかかわる資料は一切発見されていない。

い亡悗靴討藁暁呂死んで一番困るのは土佐藩である。この時は土佐藩は公武合体派であり龍馬が死んでは立場がない。だからこの説はちょっと考えにくい。

イ六摩と龍馬との間には討幕か公武合体かという路線対立があったので、薩摩藩は龍馬が邪魔になって暗殺したという説である。話としては面白いが、西郷隆盛が龍馬の死を惜しんでいる資料がのあるので、この説は根拠に乏しい。

歴史家の研究では、龍馬の大政奉還説は討幕の為の一つの策謀であり、その後は討幕に向かうだろうと会津藩桑名藩側では見抜いていたと言う。事実、その後は武力討幕に向かった。当時、会津藩も相当な情報ネットワークをもっていて、龍馬の行動はつつぬけであり、「龍馬は薩摩と長州を結びつけた放置できぬ危険人物」と見なされていた。記録に残る資料によると、会津侯松平容保の命令で京都見回り組隊士が動いたとする説がもっとも有力である。

坂本龍馬
坂本龍馬のホロスコープ

出生時間はうちゃさんの説を借りると、1836年12月10日午前10時となる。うちゃさんはその根拠を下記のようにあげている。

・大物 → 1室が強い
・交渉能力が高い → 2室が良い
・ビジネスセンス(企画力、会社の創設)がある → 2室と10室が強い
・生まれ故郷を離れ、異国にからんで大活躍 → 12室が特徴的
・結婚運が良い → 7室が良い
・(一つ上の)姉が気丈な性格 →11室に強い惑星がからむ
・短命・暗殺

とまとめられている。私は基本的にこの説に賛成する。更に付け加えるならば、やはり龍馬は女によくもてた男だと思う。太陽から見た7室には月と木星があり、月から見た7室には火星と金星と太陽がある。月からみた7室に火星と金星があるせいか、龍馬の恋人となった女性はみな猛女で気が強くそして美人である。お龍は度胸一つの姉御肌、千葉左那は男勝りの剣の達人である。射手座をラグナからみて11室とすれば、乙女姉さんはここにあたり、大浦お慶も度胸のよいよきビジネスパートナーということになる。

龍馬暗殺時
龍馬暗殺時のイベントチャート

ところで龍馬の暗殺時間は、「龍馬史」(文芸春秋)によると午後8時過ぎである。そこでその時間のチャートを作ってみた。

サインで見ると、固着星座(フィックストサイン)が異常に多い。月、ラーフ、水星、土星、太陽、木星、ラーフと9つの惑星の内、7つが固着星座にある。その内水星、土星、太陽は水のサイン蠍座にある。やはり龍馬はかなり前から幕府にとって危険人物とみられていて、秘密裏に相当に練られた計画のもとに行われたものだろう。

ネイタルの月から見た7室にトランジットの火星があり1室と2室にアスペクト、そこにケートゥも1室にアスペクトする。トランジットの月は2室支配で12室に在住となる。やはり危険な兆候だ。

水瓶座をラーシのアセンダントとしてみると、月はローヒニーナクシャトラで4室牡牛座で高揚する。しかも月は光の強い満月となる。木星と月は1室と4室でガージャケサリヨガを形成する。この事件はまさに歴史に名を残す永続する名声を龍馬にもたらす。そして水星、太陽、土星が4室にアスペクト集中する。4室も強いしそこに在住する月もものすごく強力である。4室は国土を表す。もちろん我が日本国の国土である。日本の将来を憂えながら志半ばで死んでいった龍馬の状況がよく表れている。しかし同時に日本の近代化推進の礎となるものを残して彼は逝った。龍馬の死を契機にして日本は近代化への歩みを始める。倒幕そして日本近代化、富国強兵への歩みを始めた瞬間である。この仕事をなすことが彼の使命だったのだろう。使命を果たした後、天は彼を自らの元に呼び寄せたのだ。

坂本龍馬は日本をニ分し外国の介入を招くかもしれない武力討幕には反対であった。そのためにこそ大政奉還に尽力し平和裏に政権交代が行われことを望んでいたと言われている。しかし、彼の死後、倒幕運動は一気に進展する。王政復古のクーデター、鳥羽伏見の戦い、江戸無血開城、戌辰戦争と進み明治維新が成立するのである。
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占星術評伝(5)〜賀川豊彦◆Щ狎を越えて〜
賀川豊彦(1)で述べた彼の生涯の説明に基づき、これを占星術的に分析してみよう。彼の生まれた時間は分かっていないので、彼の生涯の記録や自伝、評伝に基づいてレクティファイをかけてみた。彼の評伝はあまたあるので彼に対する肯定的評価、否定的評価の両方の評伝を複数冊読み込めば公平かつ真実に近い生涯は把握できる。それにもとづくレクティファイの視点は以下の通りである。

1 弱者に対する熱い同情心がある
2 作家になってもおかしくない文才がある
3 無類の子供好きである(彼によって育てられた孤児は実に多い)
4 社会奉仕活動に関心が深い
5 理想主義者である
6 献身的で宗教的な妻を得ている

これらを考慮に入れて、それにふさわしいホロスコープを作りダシャーで検証をかけてみた。彼の生涯の大きなイベントは大体一致するのでこのホロスコープにより分析を行った。

賀川豊彦1
賀川豊彦のラーシチャート

ラグナを水瓶座に設定すると彼及び彼の生涯をうまく説明できる。そうすると彼の5室は大変華やかなものとなる。ここで水星と金星がタイトなコンジャンクションをする。彼が無類の子供好きであったことが頷ける。また、この特徴は作家のホロスコープとしても通用するものである。現に「死線を越えて」という自伝小説や「涙の2等分」「一粒の麦」等の詩等数々の傑作を生み出すだけの文才をもっている。彼を批判する人々は、彼がなにかにつけて有名になりたいと口走る「有名病」患者だと批判しているが、これなども水星、金星、太陽と5室惑星集中している人物特有自己顕示欲の強さと理解することができる。

一方でウパチャヤの6室に凶星が集中している。彼が神戸新川の貧民窟に入ったきっかけは彼が結核侵され、余命が長くないと医師から宣告されたことがきっかけである。ところがその病気は彼の無私の伝道活動の中で奇跡的に治ってしまったこれなど彼が聖者であることの証であるとともに、ウパチャヤ凶星の力でもある。

月は6室にあるが、これは奇しくもマザーテレサも同じ配置である。6室には奉仕という象意があるがこの特徴が出ている。そしてこの月のナクシャトラはプシャヤーである。大勢の孤児を育てたこと、多くの社会運動の先駆者となりその後進となるべく人を育成したことなどよく特徴が出ている。更に月は土星とコンジャンクションし多くの社会運動のリーダーとして活躍したカリスマ性もまたある。

賀川豊彦9
賀川豊彦のナヴァムシャチャート

賀川豊彦の社会運動を陰で支えた妻ハルとの縁はどこに出ているだろうか。まずラーシチャートをみると、月から見た7室にケートゥがある。通常は縁遠い兆候であるが、賀川豊彦のような霊格の高い人物にはこうした障害を克服して霊的パワーの強い妻として働く。ナヴァムシャをみてもそのケートゥは魚座にあり自己犠牲的なキリスト者の配偶者を得ることになる。

賀川ダシャー
賀川豊彦のダシャー

彼のダシャーを少し確認してみると、貧民窟に伝道に入った1909年は水星/木星期で木星は9,12室支配となり宗教的行為によるある種の出家と解釈できる。結婚した1913年はちょうどダシャーがケートゥ期に切り替わった時で霊的結婚にふさわしい時期である。自伝小説「死線を越えて」がベストセラーとなって一躍賀川豊彦の名を高めた1920年はちょうど華やかな金星のダシャー期に入っている。このようにケートゥが節目節目で霊的に強く働く賀川豊彦のような人は、スピリチュアルアストロジーが機能する聖者と言っても過言ではない。
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占星術評伝(4)乃木希典〜愚将暗将か名将か〜
今、NHKで「坂の上の雲」(司馬遼太郎原作)を放映している。このドラマは日露戦争をその舞台としている。その時代に活躍した3人の四国伊予出身の人物ー秋山芳古、秋山真之、正岡子規を中心に描いている。

司馬遼太郎さんはその作品の中で、乃木希典将軍のことをしばしば愚将暗将と酷評している。しかし一方で乃木将軍を擁護する意見も多々出されている。はたしてどちらなのであろうか。これを占星術的視点で分析してみたい。乃木希典は嘉永2年(1849年)、江戸長府藩上屋敷で生まれている。

乃木将軍

乃木希典
乃木希典将軍のホロスコープ

彼は1室に土星があるので、頑固な一面、自己を律するに厳しい人である。魚座に在住の場合、自己犠牲的にすらなれる人である。心情的には真面目で潔癖な人でもある。しかし、能力を表す10室をみると水星は機能的凶星、太陽は生来的凶星であり、ここに火星、土星、ラーフと3凶星がアスペクトしている。そうなると優れた判断力の持ち主とは言えなくなる。ここが司馬遼太郎氏あたりから愚将暗将と酷評される所以である。だが一方で、対外イメージを示す第7室に木星が在住し魚座の第1室にアスペクトバックしている。対外イメージが非常によい半面、木星には土星、火星の凶星がアスペクトしているので周囲から非難も受ける。まさに毀誉褒貶の交錯する人なのである。軍人としての彼はどうなのであろうか。2〜3のイベントを検討してみよう。

西南戦争
西南戦争時のダシャー

彼は陸軍少佐として西南戦争に従軍した。この時、薩軍に軍旗を奪われるという失態を演じてしまった。彼はこの時厳しく自分を責め自ら処罰を求めたのである。しかしこうした乃木の行動は軍部上層部の山県有朋や児玉源太郎からは潔い行動と評価され、軍法上の罪は不問とされた。この時のダシャーは、太陽/金星期で、太陽からみた金星は6、11室支配で12室在住、アセンダントからみても金星は3,8室支配でよくない。しかし生まれついての木星の功徳がこの人物にはついて回るのである。

日露戦争最大の激戦地203高地の攻防時のダシャーは下図の通りである。
203高地
日露戦争旅順攻略戦時のダシャー

彼が司令官として指揮した第3軍の部隊は多くの死傷者を出したが、それでもロシアの要塞は落とせなかった。業を煮やした参謀本部は、最後は児玉源太郎の部隊を派遣し、彼等の活躍によってようやく203高地を陥落させた。多くの死傷者が出たにもかかわらず、それでも乃木の国民的人気は衰えなかった。
この時の彼のダシャーはラーフ/水星期である。6室ウパチャヤハウスのラーフなので、困難の後の目的達成と見ることができる。水星は2,11室支配のダーナヨガだが、機能的凶星の5室にくるので、社会的屈辱を味わうことにもなる。しかし、太陽から見るならば5室支配の1室在住となるので、援助をうけての成功を物語る。

こう見てくると、乃木将軍が無能と非難されながらも、上司からの庇護や強い擁護を同時に受けている人物と言う事が言える。



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占星術評伝(3)〜不敗の宰相大久保利通〜
大久保利通は近代日本の生んだ最大の政治家である。故郷鹿児島ではすこぶる評判が悪いかもしれないが、彼なくして日本の近代化は成しえなかったであろう。近代日本実現の為には、武士の特権階級意識は邪魔であった。情の人西郷はその士族の意見立場を代弁した人物であり、知の人大久保はそれに大鉈を振るった人物である。彼はその為に明治維新の功臣と故郷鹿児島を敵に回した。冷血漢と評される所以である。西南戦争が終了してまもなく、彼は紀尾伊坂にて、大久保に反感をもつ加賀藩士等に暗殺されてしまう。

大久保利通
近代日本建設の功労者大久保利通

実際の彼はどんな人物であったのだろう。ホロスコープから彼の人物像を垣間見たいと思う。

太陽ラグナで見る時、太陽は吉星に囲まれスーパカルタリヨガを形成する。すこぶる健康で健全なる精神の持ち主である。それよりも太陽が強いことは、政治家として成功する大切な要件となる。太陽からみた4室は射手座となり、ここに木星と月が入る。ここで永続する名声を示すガージャケサリヨガが成立する。大久保については独裁者という評価もあるが、一方において近代日本成立の最大の功労者という評価もある。これが4室にあるということは日本の内政整備に関心功績があったことを物語る。彼は内務大臣として強力なリーダーシップを誇り、その心情は理想主義者である。権力欲は意外とない。彼が死んだと何の財産もなく借金だけが残ったという逸話通り、官位金銭を求める堕落した政治家ではない。清貧に甘んじた人である。

大久保
大久保利通のホロスコープ

木星は12室のラーフと一種のグルチャンダラヨガとなっている。島津久光を裏切り西郷を裏切り、やむえなかったこととは言え、裏切り者のヨガである。水星は太陽からみて2室にある。月からみると水星はダブルケンドラ支配であるが、一方火星が第2室に8番目のアスペクト、土星が3番目のアスペクトを第2室にかける。あまりコミュニケーションが闊達な人ではない。彼は寡黙で他人の意見をよく傾聴する人だったという評価がある。

第12室には土星、ラーフ、金星がありここでラージャヨガができる。12室がよいことは政治家として大切な資質である。つまり陰謀に強いことを意味する。実際、大久保はかなりの陰謀家である。征韓論を葬り去り、鹿児島私学校を挑発し暴発させたのは彼の陰謀である。明治維新においても、鳥羽伏見の戦いの時、禁裏の旗が突然と薩長側に翻った。これは岩倉と大久保のしくんだ芝居である。この旗は急ごしらえの偽禁旗であったというのは今日定説となっている。歴史の真実としては、薩長軍はしくまれた偽官軍なのである。会津藩が憎むのも無理はない。しかし、12室が強いことは政治家として大切な要件である、とラオ先生は彼の著作の中に書いている。ブッシュもオバマもプーチンも確かに12室は強い。
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占星術評伝(2)西郷隆盛〜裏切り者か英雄か〜
誕生日が正確に分かっている歴史上の人物のホロスコープを分析してみることも占星術の研究に非常に役に立つ。なぜならば、歴史上の有名人物はいつの時期何が起き、どのような生き方をしたか分かっているからである。芸能人やスポーツ選手の人生もマスコミ監視のもとでガラス張りなので研究に資すること大だが、歴史上の人物を占星術の視点から研究することも大いに勉強になる。占星術愛好者で同時に歴史も好きな人なら一鳥二石である。

西郷隆盛は1828年1月23日鹿児島に生まれる。大久保利通、木戸孝允と並び「維新の三傑」と称される。時間は残念ながら不明だが、それでも大筋の生涯は追っていくことができる。

西郷隆盛1

西郷隆盛はもともと下級武士であるが、島津斉彬からの引き立て抜擢を受けその強い影響を受ける。斉彬の急死で失脚し奄美大島に流される。その後、島津久光と合わず沖永良部島に流される。しかし、小松帯刀や大久保利通の助力で復帰する。1864年の禁門の変から薩長同盟、王政復古のクーデター、江戸無血開城の時まで歴史の表舞台にたつ。明治維新後は陸軍大将までいくが、征韓論で岩倉知美等と衝突し、鹿児島へ下野する。1877年私学校の暴動から起こった西南戦争の指導者となるが、敗れて1877年9月24日城山にて自刃する。

西郷隆盛はその庶民性から、日本史上もっとも大衆から慕われる人物の一人であるが、こうした特徴はやはりホロスコープに出ている。
西郷隆盛2
西郷隆盛のホロスコープ

彼のホロスコープを月ラグナでみると、1室にケートゥがある。人々に慕われるように欲のない純粋な人であるが、その純粋さは他人の都合はあまり考えない自分勝手な純粋さである。月がヴァルゴッタマで在住しているので、そういう欲得づくでない純粋さが、西郷をして歴史上の人気者にするのである。

彼の場合、木星の傷つきが著しい。凶星のラーフと火星とコンジャンクションしている。これは俗に「恩知らずのヨガ」と呼ばれる。明治維新時は結果として島津公を裏切り(島津久光は倒幕は望んでいなかった伝えられている)、明治維新後は、征韓論で一方的に下野し、西南戦争を起こして大久保利通を裏切っている。そもそも250年続いた徳川幕府を倒した張本人である以上、ある意味で裏切り者のレッテルは免れない。革命の英雄と言うのは、既存の権力側からみれば裏切り者、反逆者となる。1868年は明治維新の年でもあり暴力革命の年でもある。

木星と火星のコンジャンクションはグルマンガラヨガと呼ばれ、野心家の側面がある。3室土星は数々の不遇にもかかわらず頑張り抜く典型的ウパチャヤ凶星在住のパターンである。土星には改革の意味があり、これが海王星とアスペクトすると夢想的な革命を夢見ていたことになる。彼が明治維新後、立身出世ばかり考える薩長の官吏を見てえらく腹を立て失望したと言われているが、彼にしてみれば、もっとユ−トピアのような日本を作りたかったのであろう。

月が火星とアスペクトしチャンドラマンガラヨガを作っている。これは強引なまでの実行力を示すものである。特に1室と8室支配の火星が1室の月と絡めば、陰謀家の象意が出てくる。西郷隆盛といえば敬天愛人などと言われて人格者として尊敬されているがそれは1室の月、ケートゥのコンジャンクションにみられる彼の一面にすぎない。明治維新の王政復古クーデター前後の西郷隆盛は陰謀の塊である。幕府を戦いに引きずりこむ為に江戸市中焼き打ちという汚い手を使い、それの実行犯である相良総三を一方的に処刑している。鳥羽伏見の戦いで、幕府軍と膠着状態になった戦況を打開する為、禁裏の旗を勝手にふりかざし、偽官軍をでっち上げて敵を欺いたのも西郷である。しかし、このグルマンガラヨガがあるからこそ、廃藩置県のような行政改革をやってのけたとも言える。1−7軸に月、火星、木星が絡んで1,4,9のトリコーナ支配をしているのだから強力なパワーとなる。

それを考えると西南戦争時における西郷の無為無策が不思議に思われるが、ダシャーの切り替えがあったのであろう。彼の誕生日をその経歴からレクティファイして推測してみるのも面白いと思う。
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占星術評伝(1)皇女和宮〜その結婚の不幸と幸福〜
今日はNHK大河ドラマ「篤姫」を見た。明治維新を女性史の視点から描いた初めての歴史ドラマということもあって、日頃歴史に関心の薄い女性からも高い視聴率を得ている番組と聞いている。今日は和宮の夫徳川家茂が27歳でこの世を去るシーンがあった。薩摩出身の篤姫も政略結婚であったが、和宮もまた岩倉具視等が推進する公武合体政策のもとで、有栖川熾仁親王との婚約を破棄させられ江戸への降嫁を強要された運命にあった。

そのような薄倖だった彼女の運命にふと興味が湧いたので、いくつかの資料をみながら簡単な和宮の占星術評伝を書いてみた。誕生日は大体分かっているが時間が未刻から申刻(午後1時〜5時)となっているので、結婚の時期、死期、健康、結婚生活等の経歴にもとづいてレクティファイをかけてホロスコープを作成した。
皇女和宮
和宮のホロスコープ

結婚表す第7室にはやはり特徴が出ている。第7室には結婚のカラカである金星が在住している。第7室に金星ということになると結婚生活はよさそうに思うがその逆である。通常は結婚運はよくない。しかしそこに木星がコンジャンクションしている。金星は7室を支配し木星は2室を支配してマーラカハウスを形成している。まずこれが和宮の結婚生活をすべてを表している。

1862年2月、彼女は家茂とはラーフ/太陽に結婚している。ラーフからみて太陽は9番目のハウスになりそれまでの社会的地位や立場を失うことを意味している。皇女が武家に降嫁した例は後にも先にも和宮だけである。この結婚は皇女の面目を失う結婚であったことだろう。しかし、徳川家茂との結婚は政略結婚という意味では不幸であったが、家茂は大変心根のやさしい人で夫婦仲そのものは大変仲睦まじいものであったと伝えられている。第7室に木星が入っていることが政略結婚という不幸を大きく緩和し、寛大な夫を持つことができたことを物語る。しかし、同時に第7室の惑星がマーラカ支配になっていることは不幸であった。これは夫家茂の短命を意味するものである。

和宮が如何に家茂を愛していたかいくつかの逸話が残っている。家茂が長州征伐の為に上洛の際、家茂から江戸への凱旋の土産は何がよいかと聞かれた和宮は西陣の織物を強く望んだと言われている。しかし家茂は長州征伐がはかばかしくない中、大坂城にて病没する。没後に西陣織は形見として和宮の元に届けられたが、和宮はそれを見て大いに嘆き次のような和歌を詠んだという。「空蝉の 唐織り衣 なにかせん あやも錦も 君ありてこそ」。私の主観を交えて意訳をすれば、「西陣の織物など要りません。あでやかな織物はあなたあってものです。あなたがいなくなった今、こんな織物など私にとって何の意味もありません」とでもなるだろう。そしてこの和歌を添えて、その西陣織を増上寺に奉納したと伝えられている。

和宮のダシャー
和宮のダシャー

1868年官軍が江戸城を攻撃しようとした時、その中止を朝廷に嘆願することによって彼女は歴史の表舞台で活躍する。この時は木星/土星期に当たり、木星から見て土星は9室と10室を支配しており、社会的に活躍する時期当たっている。しかし、この土星は火星とラーフの凶星からアスペクトを受けている。土星は木星からも火星からも敵対関係にある。土星が強いからと言って幸福であるといえる状態にはない。

1877年9月、和宮は木星/月期に脚気が原因による心不全で亡くなった。心臓を表す月はとても傷ついていて、同じく心臓を意味する蟹座に在住する減衰火星と凶星ケートゥのアスペクトを受けている。月は又、ジャイミニ方式でのグナティカラカでもある。火星と月は星座交換でよいと書いている書籍もあるが、私の検証例では、減衰の絡む星座交換にはよい事例はない。

薄倖だった彼女は、死の直前に京都ではなく夫家茂の側に埋葬してくれと言い残して死んだ。時代に翻弄された生涯の中で、夫家茂の優しさだけが彼女のよき想い出であったのであろう。(まさに木星だけが唯一彼女の人生の救いであった)
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