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いつのまにか病人にされた

占い師の世界は真に狭い。A占い師の知り合いのB占い師は、C占い師の知り合いでなんてことはざらにある。しかもそれがリアルな付き合いがある場合ならともかく、Eメール、ホームページ,ブログ、SNS等ネットだけの知り合いという場合も多い。ただでさえ想像力豊かな職業集団なのに、ネットだけの付き合いとなるいろいろ思惑、願望、妄想が入り込む。勢い余計な噂、又聞き、デマ、増幅或いは歪曲された情報等が流れ出す。

そんな中で「私が病気である」とか「命さえも危ない時期」とか「最低の運勢の時期」等々トンデモ鑑定をして受講生に喋っている馬鹿な占い師が数名いるらしい。そんなことを風の便りに聞いた。複数の人から同じような事を聞いたので、まあ韓国の慰安婦ばあさんの妄言より信頼性は高いだろう。こんなゲスの噂は無視するのが一番よい。だが、本人が知らない間に重病人に仕立て上げられても困るのであえて声を大にして、ここで否定する。「俺はピンピンしてるぞ。お前等はみんなへぼ占い師だ。何を見ているんだ」と大声で叫びたい。私は確かに最近目の手術をしたが、前から予定していた外来日帰り手術に過ぎない。お蔭様で視力は非常によくなった。定期的に人間ドッグで診断してもらっているが、今現在、入院手術投薬等が必要な病気はない。それ以外に病院のお世話になった事など最近はない。どうしてそういう噂が立つのかまことに不思議である。意図的にそういう噂、デマを流していることはあり得る。

話を聞いてみると、本多さんは「今がサティサティの時だ」、「減衰の月のダシャー期だ」、「火星トランジットがマラカにアスペクトしている」、「サルヴァアシュタカバルガが低い」等々を理由に挙げているらしい。確かにインド占星術的にみるとそんな時期にある。それだけで見るなら確かに健康を害し運気も落ち込むと判断するのは分かる。運勢的に低迷期にあることも認める。だが私の場合、減衰やアリシュタとかいうのはすべてバンガしている。8室には2室にアスペクトバックする土星があり、基本的に長寿の表示である。総合的判断ができないのは占い師として問題だね。どうもご期待にお答えできなくてまことに申し訳けございません。私に好意をもっていないへぼ占星術師は、私が病気になって欲しいと思うものだから、日頃の名鑑定?はどこへやらでトンデモ鑑定団をやらかすのだろう。自分の主観や感情と客観的な事実を鑑定時に区別できないということは、つまり感情のコントロールができないということである。そういう人はいくら知識や技法に通じていても占い師として失格である。占い師はどうも知識偏重の傾向がある。知識はもちろん大事だし勉強すべきだが、占いの知識は今は持っていなくても勉強すればいつか吸収できる。だが性格や人格の深い部分は終生変わらない。人物判断や未来予測で大切なのは実はこの点である。あいつはヘボ占い師と、私は世界に向って叫びたい。(これも感情論であることは承知してあえて言いたい)。「ご期待に副えなくて残念だったな。俺は元気でいるぞ。仕事にも困ってないよ。」

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「健全なる占いのビジネスモデル」を考える(その1)

占星術で金儲けをしてはならない等とどこの誰が決めたのか知らないが、御心配なくと言いたい。そもそも占いにお金を払って鑑定を受けようという人は人口比率から言ってそう多くはない。それから悩み事というのはそういつもあっては困るわけで、基本的に日常の消費財を買うような意味でのリピートオーダーはない。それでは単価は高いのかというと、占いブースでは大体30分5000円が目安であり、個人でじっくり鑑定を依頼する人でも1万〜2万円の間が相場でそう高単価ではない。これを図式で示すと、

顧客人口[少ない)× リピートオーダー(少ない)× 販売単価(そう高くない)という図式になる。つまり「占い業」は付加価値の低い「構造不況業種」である。

そういう意味では占い業で利益を上げようなどというのは不可能である。そもそも金儲けをしたい人は「占い師」など志さない。個人的興味つまり趣味が昂じたか、倒産・解雇・低収入・大病等生業から逸脱せざるを得ない人生経験をしたか、何かの運命のいたづらか、家計を補うために副業で稼ごうとしているかどれかだろう。解脱悟りの手段プロセスとしてのジョーティシュ修行者とか高名な大先生などはほんの一握りだ。現実に大部分の占い師は副業としてやっているのが嘘偽らざる現実である。占い師が法外な利益だの詐欺師だのというのは、弁護士、税理士、僧侶等々どの業種にもいる不心得者であって、それがすべてと思うのは勘違いも甚だしい。それから「占い業」は現代資本主義社会では明らかに「相談業」「カウウセリング業」の一種としてのサービス業として機能している。神の御業でも解脱悟りの手段プロセスとして修行の場でもなんでもない。解脱悟りの手段としてやっている人はそれでもけっこうだが、霞を食べて生活していくわけではないので、それを他人に強要することは何人と言えど許されない。

しかし現実に占いで生活をしている人はいる訳である。「ビジネス性悪説」のような考え方は古代奴隷制社会の時代遅れの遺物である。こういう極論な奴隷思想はむしろ排除した方が世の中の為である。それよりも、「如何に占いで生活できるだけのお金をいただいて、しかも社会的世間的にも容認できる健全なるビジネスを如何に展開していくか」という「健全な占いのビジネスモデル」を各占い師が構築していくことが優先するし、より重要である。それこそが私の理想・目的・ビジネスモデルとするところである。

「さて健全な占いのビジネスモデル」を現実に如何に構築するかとなるとなかなか難しい。ビジネスの基本にまず基本理念、方針がある。個人で言えば「志」である。これが企業やビジネスのモラルをまず保証する。金儲けを志しはするがそれだけではない使命や社会貢献の部分が大切である。金儲けはこのモラルの上になりたつ。これぞピューリタニズムの倫理観につながる。

たとえば、有名なマーケティング戦略の考え方として、「ランチェスター戦略」なるものがある。これは「シェアナンバーワン戦略」と呼ばれるもので、商品No.1,顧客No.1.地域No.1の3つがある。これを占い業に当てはめていくと、

「商品No.1」とは特定の占い、例えば四柱推命の権威とか、結婚問題に関するアドバイスとか、他の追随を許さない高い品質のサービスが提供できることである。これが一番まっとうな稼ぎ方だ。あるいは人に教えることがうまくてもよい。

次の「顧客No.1」とは、顧客数を増やす、リピート数を増やす、高単価等安定した顧客を如何にもつかである。公的機関や組織を相手にする、政治家・実業家等社会的地位の高い人或いは富裕層に属する職業層の顧客をもつか、逆に低単価ならどれほどのリピートが可能なのかである。こう書くとすぐに低品質だの詐欺行為だのと極端に解釈する人がいるがそうではない。それをモラルに反しないやり方で工夫することである。人相学に美容・健康を加えてシナジー効果を狙うのは顧客数を増やすやり方、毎年、年頭に出版される「高島暦」や「エフェメリス」、質の高い「占いコンテンツ」等はリピートオーダーの実例である。

「地域No.1」とはある種の庶民戦略である。日本全体では無名だが、下町では有名な占い師とか、「〇〇の母」とかいった例である。「○〇の母」というのは最初の人は良かったと思うが、その後雨後の竹の子のように出てきてだいぶいかがわしくなってしまった。サービス業のビジネスモデルの難しさは実はここにある。よいと思ったら簡単に真似されてしまうことで、ここが質の高いサービスを考える時に大きなネックとなる。ある意味で大衆化=低俗化というのは避けられない現象であるが、参入障壁を如何に高くするか等の工夫が大事となる。)或いは、吉祥寺のハモニカ横町に無名ではあるがなかなか評判がよくて稼いでいる占い師を知っているが、これなどは地域No.1のよい事例である。

上記のことは私自身の問題でもあるので、このシリーズは又書きたいと思う。

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占い常識論〜中庸の大切さ〜

占いにおいても大切なのは「中庸の徳」である。私は非合理な占いを根底で支えるものは「常識」と「中庸」だと思っている。占いは研究方法を工夫すれば、その中の一部の法則は科学になり得るものはあると思う。もちろんその努力は評価する。しかし、占いはしょせん「補助科学」に過ぎない。個々のアカデミズムの専門レベルははるかに高い。易占や金融占星術が株価や為替の科学的予測に取って代わることはないし、手相や医療占星術が近代医学より優れることはない。宗教法が世俗法より優先するようなことがあってはならない。既存の科学では予測しえない、或いは扱わない盲点のような部分が分かるかもれない位の程度である

占いで何でも分かる、占星術で科学を越えたところまで分かる、方位日取り宝石マントラを使えば何でも可能と思い込むのは危険である。自ずからそこには限界がある。占う側も占われる側も、そこを変に過信するから「騙す」「騙される」というようなことが生じる。過剰に盲信して極端な思想行動に走るからおかしなことになる。双方とも「常識」で考えればそんなことは起こりえない。もっと現実的に判断すべき問題だ。職業選択、結婚、病気を占いだけに頼る、相場を経済のファンダメンタルズや経営内容を調べることなしに占いだけに頼る。開運を方位だけに頼る。そんなことはそれこそ私の常識では考えられない。まず合理的に考えて状況をよく判断する。それが現在得られる情報の範囲ではどうにも判断決断できない時のみ、占いに身をゆだねる。つまり天命に任せるのが本筋というものだ。

占いをビジネスとする時もそれは同じだ。いわゆる悪徳商法」「詐欺商法」はもちろんいけない。だがその悪徳とか詐欺というのもその事実関係や世間相場、常識を踏まえた上で言えることである。事実関係を正確に把握し、バランスや中庸のとれた基準で判断することがまず先決だ。その対極の考え方で、占いで金儲けすること自体がいけないという考えも間違っている。そう思う人は無料鑑定でもなんでもすればよい。だが違う考え立場の占い師にそれを押しつけることはできない。占いビジネスは特に神聖なものでも賤しいものでもない。世間に普通にある相談やアドバイスを中心とするサービス業の一形態にすぎない。最も伝統ある相談業の一つだ。その上で品質を高める努力をする。もっとクールに考えよい。それに対する労働の対価は当然のことだ。その対価が適正であるかどうかは世間相場や消費者(鑑定客)の納得性によるもので、特定の立場の人間が決めるものではない。

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占い師と鑑定のスタイル〜鑑定重視派と激励派〜
占い師或いは占星術師の鑑定スタイルは占い師の個性の数と同じくらい違う。だが大きく分けると、多少辛口でも鑑定結果通りに伝える「鑑定重視派」と多少外しても本人への励ましを中心とする「癒し派或いは激励派」とに大別できる。

「鑑定重視派」は鑑定した結果を重視して結果をそのまま伝える。「激励派」は鑑定結果を基本にするものの鑑定客を元気づける、動機づけることに重きを置く。メーカーで言えば前者は生産志向であり、後者は顧客志向にということになる。前者は鑑定結果を伝えることに熱心なあまりとかく鑑定客を傷つける傾向がある。後者は背中を押しさえすればよいということで適当にいい加減な事を言う傾向がある。そのことを言葉を荒げて非難するしたり顔の聖人君子ぶる占い師もいる。

だが大切なことはどちらのタイプの占い師であろうと、段々に勉強しいろいろ経験すると鑑定態度、スタイル、鑑定能力に変化がでることだ。占い師に限らず人間は経験学習によって進歩し変わってくるものだ。「鑑定重視派」であっても経験によって鑑定客の動機づけを考えるようになるし、「激励派」であっても占術の勉強は少しづつ進んでくる。

私はもともと「鑑定重視派」である。ラグナは射手座でありそこに太陽があり火星もある。どうしたってよくも悪くも率直な物言いをするタイプである。そのためにあらぬ誤解を受ける時もある。だから占い師を始めた頃は、腕が未熟なだけに当ててやろうという意気込みだけが先行し単刀直入に言いすぎた点があったと思う。結婚運の悪い人に「あなたは結婚運が悪い」とはっきり言い過ぎて相手を傷つけたかもしれない。そうすると相手の眉がピクピク動いて反応するのを何回もみたので、徐々に反省するようになった。まず最初は言い方を工夫するようになった。結婚運が悪いという指摘はしても、それをどう伝えて鑑定依頼者の将来を少しでもよい方向にもっていくかあまり考えなかった。(もともと運気の弱い人が鑑定依頼に来ることが多いのだから、結婚運、仕事運の悪い人が鑑定依頼者に多いのはある意味当たり前で、それをいちいち指摘する必要はないのかもしれない)

次に、そういう中でもどこをどうすれば多少なりともよい人生を送れるのか、そのためにはどこをどう指摘してあげればよいのか考えるようになった。カルマは変えられないとしても、その範囲の中で弱みよりも強みをどう生かすか、弱い運気の時をどう避け強い運気の時をどう生かしていけばいいのか、本人が運気が弱いなら強い人の協力をどういう形で得ることができるか、そんなことを段々考えるようになった。例えば結婚運といえば、その視点は金星と7室である。その2つが駄目なとき、「あんたは駄目だ」みたいないい方を以前はしていた。でもそれじゃ救いがない。その中でも4室のよい人はいる。いいかえれば男女関係の運は弱くても家庭重視の「お見合い型」である。そんな人に結婚相談所に行くことを進めている。実際にそれに対する成功例は少なからずある。

占い師の中にはとかく評論家気取りで高い目線でそういう過去を非難する人がいるが、占い師は聖人君子ではない。それはあるべき姿であって現実は、それを偉そうに言う占い師も含めてそんなに偉い存在ではない。人は失敗によって進歩し改善することは占い師とて同じである。
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異なる占術間の論争
自分が専門とする占術がよく当たると自負する、或いはそう思いたいという気持ちは理解する。しかし、それだけが唯一正しいとか、他の占術を妙に排斥したり、けなしたりするのはいただけない。

よくあるのは同じ占術の中で「流派」が違うと激しくぶつかるケースだ。これは近親憎悪のようなものであろう。似ているが故に、近いが故に僅かな違いも許せないと思うのだ。これが極端になるとまるで宗教戦争のような状態になる。お互いに相手を「邪教」と罵ることになる。インドでもあるし四柱推命の研究者間でよくそういう論争をみかける。インドの場合だと、どの古典を特に重視しているかで考えの違いが生じるし論争もある。四柱推命だとある人のチャートを従財格でとらえる場合と単なる身強とみるかで大運、年運の見方に違いが出る。中国系、透派、伝統的日本派間での論争は盛んだ。或いは周易と断易、気学と奇門遁甲、古典占星術と西洋モダン占星術、西洋占星術とインド占星術等でもよく見られる。気学にしてもあまりそこだけに凝るのはどうかと思うが、平気で五黄、暗剣をつくのもどうかなと思う。古典占星術をやるある人のサイトをみるとモダンの西洋占星術がけちょんけちょんにけなされている。モダンが古典と比べると確かにその体系がシンプルになっているとは認めるが、だからと言って全否定することはなかろうと思う。厳密にいうとその古典の中でもいろいろやりとりがある。

こうした異なる占術は前提としている価値観、論理、体系がちがうのだからある部分だけとらえて、そこが当たっているとか違うとか言っても埒はあかない。全体としての体系が違うのだから部分だけとらえて議論しても意味がない。西洋占星術をやる人がトロピカル方式とサイデリアル方式でアセンダントの位置が違うからどうのこうのという意見を時々みかける。しかしそれは同じ「占星術」という名前をもつので、両者ともに同じ価値観、論理、象意、体系を持つと思う所からくる錯覚である。さすがに四柱推命をやる人が紫微斗数のことを当たらないとけなしはしても明らかに体系がちがうからそこまでは錯覚しない。しかし占星術ではそれは起こり得る。両者ともに1室が性格、健康、先天運という象意をもつからと言って、地上の世俗的な身近な事象がよく表れる西洋占星術と天空上の霊的な事柄、カルマ的な事柄がよく現れるインド占星術とは価値観もロジックも体系も違うのである。同じような形では決してあらわれない。

こういうことは複数の占術を勉強してみるとよく分かることなので、私は占い師を志す人は、命卜相の占いをそれぞれ2つづつ勉強することをお奨めしたい。そうすれば前向きの議論はよしとして、つまらない論争や揚げ足取りはしなくて済む。
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占星術の疑似科学性
「占星術は科学か」という議論がある。これについて下記のようなサイトがあって、占星術ばかりでなく臨死体験とかUFO、自己啓発、代替医療等々、携わる本人は真面目に取り組んでいるつもりでも、下手をすると「いかがわしい」「あやしい」と言われかねない事柄についてその科学性を検証している。

疑似科学とされるものの科学的評定サイト

http://www.sciencecomlabo.jp/fortune-telling/astrology.html

それによれば、占星術は

 ー匆颪任慮共性は低い
◆.如璽燭瞭明性は低い
 データの再現性は低い
ぁ.如璽燭竜甸兩は低い
ァ〕論の論理性は普通
Α〕論の体系性は低い
А〕論の普遍性は低い
─‐来の予測性は低い
 社会への応用性は普通

となっている。いわゆる実態を知らない学者先生の観念論的な「科学的分析」の視点からみれば占術や占星術はこういう評価を受けるだろうなと思う。私自身は占いが科学とは思っていないし、科学である必要もないと思うのでこういう分析をされたからと言って特に反発はない。ただ言いたいことは、

占術や占星術を卑しめているのは実は占い師や占星術師自身である。
科学的評定という割には、占星術、臨死体験、UFO,代替医療等の実体そのものを知らなすぎる。

この2点に尽きる。

颪砲弔い討呂い蹐い躙世い燭い海箸あるのだが簡潔にすます。あやしげな占いやスピリチュアルビジネスをやる輩が絶えないのは事実である。しかしこれも売らんが為、食わんが為の情けない占い業界の窮状からくるものである。私は占い師の仕事が権威などとはこれっぽちも思っていない。要するに占い師という職業は、本人がいくら権威と称してもしょせん「売卜者」に過ぎないのである。△離如璽燭瞭明性の低さは「秘伝ビジネス」で業界が成り立っている以上、或いは個人ビジネスのレベルから脱却できない現状である以上、やむえない面があると思う。これでは科学的検証に耐えるレベルのデータの蓄積などはできる余地はない。鬚砲弔い討呂海離汽ぅ箸諒析では、占星術を以下のように定義しているが、ここに問題矛盾がある。

「本項目で記載する占星術は、伝統的な歴史や技芸を背景にしながら、商業的な場面で一般的に登場する“未来予測”という実践を主な評価対象とする。つまり、本項での“占星術”という表現は、たとえばマスメディアから提供される「今日の運勢」や「あなたの星座診断」といったキャッチ―でフランクなものを想定している。」

私から言わせれば、この前提そのものがおかしい科学的評価というならまず分析対象の実体や事実関係をきちっと把握することが重要な筈だ。占いや占星術等当たる筈がないという前提に立ち、社会における占術及び占星術の表層的な社会現状からみた「分析」にすぎない。占星術そのものを深く分析しているわけではない。学者なんてこんな程度かね。これは他の疑似科学と言われるものも同じ扱いをしている。言いたいことは「ミイラ取りがミイラ」になったゴークラン研究のことを挙げているが、その位の深い突込みがないとこうしたテーマの研究は、自らが非科学的研究に終わるということだろう。科学的評定という割には自らの研究はお粗末な位非科学的である。
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宿命と努力
このブログを見る人はたいてい占い好きの人と思うが、なかには「占い嫌い」の人もいるだろう。その理由として挙げるのが、占いのような科学的根拠の乏しいものは信じるに値しないという意見がある。しかし、それ以上に挙げる理由が、占いで何かを宣告されると自分の運命を制限されたように感じるから嫌だというものである。そういう意見の人は実は腹の底では占いを信じていることになる。信じなかったら何も制限をかけられていると気にすることもないわけである。

占いは基本的に宿命論の立場をとる。占星術や四柱推命等の命理系の占術は特にそうである。インド占星術などはカルマに基づく典型的な占いであるが、生まれた生年月日時間、場所ですべてが決まっているとする完全宿命論を取っているわけではない。むしろ努力やそのタイミングの大切さを肯定している。これと反対の立場が、成功哲学や自己開発プログラムのような考え方だろう。
ポジティブシンキングとか「思いは実現する」とかいって努力と信念によって人生に不可能はないかのように説いている。占星術の中でもモダンの西洋占星術の中のある流れは、運命はある程度決まっているものの、その流れを心の持ち方で如何に変えていくかということに重点を置いている。開運系の占いもそうである。

私個人の意見としては完全宿命論も努力万能論も採らない。事実はその中間にある運動神経が鈍く体力も弱い人でも努力次第である程度まで運動能力を身につけることができる。数学、英語ができない人でも適切な勉強方法をとればかなりの程度まで学力は伸ばせる。これなどは努力の価値である。話し下手の人、社交性のない人もある程度までは解決できる。ビジネススクールで実践的経営学を徹底的に学ぶと半分以上の人が経営者のなれるというのも努力の価値を認めたものである。

しかしそういう人に聞きたい。「それじゃああなたは総理大臣になれますか」「オリンピックにでて金メダルがを狙いますか」「実業家としてビルゲイツのような成功を目指しますか」「ノーベル賞をもらうような科学者になれますか」と質問したら大部分の人は否定するだろう。これなどは人間には努力だけでは越えられない運命、資質がある事を暗に認めているからに他ならない。

宿命論でも努力重視でもかまわないが、バランスのとれた考え方が大事だと思う。
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占いにおける中庸の大切さ

私は占い師、占星術師だが拠って立つスタンスは飽く迄常識重視、中道路線である。

占いに科学では解明できない神秘的要素が入り込むのはやむをえない。又、ある程度は宗教思想やスピリチュアリズムの影響を受けることもありうる。だが特定の宗教思想にどっぷりつかった極端な精神主義的考え方には賛成できない。やはり宗教は宗教、占いは占い、現実は現実という常識ある態度が大切だと思う。そこの所を混同すると正常な判断はできなくなる。その逆に、壷、墓石、宝石、方位等々これまた違う意味でのご利益主義も大いに問題がある

1 占いに神秘主義、精神主義はつきものだが,あまりにも非常識な思い入れは危険である。

2 占いで人を騙すことはよくないが、適性利益の範囲内での商売まで否定することはない。

3 金儲けの方法は考えなくてはいけないが、金儲けそのものが悪ということはない。


1 方位効果、風水効果がある程度有効であるが、それはカルマの範囲内の開運である。

2世の中に驚異的な霊能者がいることは認める。でも本物はごく限られた人達である。またそういう人達は世俗的な予言は行わないのが普通である。

占いおける過剰な精神主義とご利益開運主義の2つの考え方は実は根にあるものは同じだと思う。よく政治思想で右翼と左翼は実は同じ穴のムジナだ言うことがある。左右両極の政治思想は、自分達への反対意見に対して狭量で、これを暴力をもって1排除するという点では共通している。それと同様、占いにおける極端な理想主義もご利益主義も、現実や常識を無視した理論偏重の教条主義、異端に対して狭量、そして妙な権威主義という点では共通している。

占いには命占、卜占、相学、開運法といろいろあっていいが、いずれも理論より現実、常識を重視する考えを根底に置くべきだ。占いを学問というなら、研究方法論は一つではなくいろいろあってよい。それぞれの占いにはそれぞれの特徴がある。特定の占いだけでなく複数の占いを勉強すればまたちがった視点でものが見える。あまりに多くの占いをかじりすぎるのもそれだけ中途半端なものになるから、それは注意すべきことだ。正統だの異端だのという前にそれらをまず自分自身でじっくり研究した方がよい。

1占いの基本にあるのは現実、常識である。的中精度を高める努力は大切だが、過度に頼りすぎるのはよくない。過剰な神秘主義はとらない方が賢明である。

2もし理論と現実が一致しないなら間違っているのは理論の方である。

3占いの研究は必要だし古典の重要さも認める。でも研究方法論は統計、数量化、定性的研究等々いろいろある。特定の占い、先達、古典、研究方法だけが正しいということはない

4占いはそれぞれに得意技があり、いろいろの占いを習得するのは多様な視点だみられるのでよい事である。但し、人間の情報処理能力には限界があるので、あまりに間口を広げすぎると中途半端でいい加減なものになる。万能選手ということはありえない。

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占い好きと占い嫌い
世の中には占いを信じる人信じない人がいる。それとは別の切り口で占い好きと占い嫌いの人がいる。占いには現在の所科学的根拠はない。「占いは統計」という人がいる。占いの法則の中で、よく当たる原則とあまり当たらない原則があるのは確かだ。それを数値的に分析すれば統計的に確率法則として説明できるものもあるだろう。しかし、周易の決まりごとやホロスコープの原理は事物を分析し統計的に導き出したものではない。何か分からないがなぜそのようなことを考え出したのだろうと思う。それこそ、古代の聖賢が神より啓示をうけたとしか言いようがない。それも事実とは思わないが、そういう言い方しかできない。

面白い事に、占いを信じる人が占いが好きで、信じない人が占いが嫌いとは限らない。占いを信じても占いは嫌いだという人はけっこういる。話を聞いてみると、占いによって未来のいろいろな出来事を予測されると、自分の行動を制限されるから嫌だというのである。そういう情報を知っていてもいなくてもその通りなるのだったら、知らない方が余計な神経を使わなくてよいとも言う。でもこれってよく聞いてみると、実は占いを信じていることになる。はなから信じていなければ何を言われても気になることはない筈である。

「命理」系の占いの原理からすれば、すべては「命」や「カルマ」で決まっているわけだから、命式、命盤、ホロスコープは天気図みたいなものである。大雨が降る、台風が来ると出ていればどうあがいても台風は襲ってくるのである。それは避けようがない。占い師は気象予報士のようなもので、だからといって悪い天気図をチチンプイプイと御祈祷して台風を消滅させるようなことはできない。雨が降るものは雨が降るとしか言いようがない。鑑定客に徒に不安を与えるよくないが、嘘をつくのはもっとよくない。まず事実を述べその時、できる対策はなにか?をも示唆するしかない。例えば、出発の時を早めるか遅らす、その時はが外出しない、必要なものは事前に買っておく、どうしても外出しなければならない時は、傘、長靴、コート等の用意をしておく等々の対策がある。人の運気に対する備えも似たようなもので、「悪い時」「いい時」にどう対処するかで結果は随分違う。それこそ占いの存在理由である。それを不安材料、変えようがない運命と受け止めるかどうかは個人の問題である。
 
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結婚運をよくする方法
占術を勉強する人にホロスコープや命式の持ち主は少ない。その癖、妙に個性的である。そして運気は弱くいろいろと挫折経験のある人は多い。さる占い師の会合で話したことだが、運が弱いから自分の運勢はどうなっているのかと思い占いに関心をもつと思われる。自分の運気が強かったら占いに関心などもたない。という話を去る有名占い師と話したことがある。特に、結婚運の悪い人がどういうものか多い。

結婚運といえば、インド占星術の勉強を始めた頃、インド占星塾、東西占星術研究所、マハリシ、春日秀護氏の著作等いろいろな占星術の研究機関の著作を読んだ。その内東西占星術研究所のある研究誌の中にこんなことが書いてあったことを思い出す。即ち、結婚運の悪い人が結婚運をよくするには3つの方法があるという話だ。それによれば、

 遅い年齢で結婚する
年の離れた人と結婚する
 嫌いな人と結婚する

という3つの事が書かれていた。でもなぜかという説明は書かれていなかった。

この内、,鉢△砲弔い討呂修了になんとなく理由が分かるような気がした。,亡悗靴討蓮人は加齢とともに精神的に成長する。若い時は美醜や感覚的な好き嫌いで異性を選んでも、段々に冷静に理性的に相手を選択するようになるものである。△亡悗靴討蓮結婚運の悪い人は実は「対人関係」が苦手な人が多い。コミュニケーションをとるのが下手で周囲と摩擦を起こしがちである。そんな時、年の離れた相手なら我儘をある程度許容してくれるので、これもまた一理ある。

問題はで、私はこの時はなぜだか理由が分からなかった。でもその後、恋愛結婚に関する鑑定経験を積む内にその理由が段々に分かってきた。例えば、ここに2枚のホロスコープがあるとしよう。Aさん、Bさんのどちらが自分にふさわしい相手なのか鑑定依頼を受けたとする。種々の検討の結果AさんよりBさんの方が運気、相性、健康状態等でよりふさわしい相手だとしよう。そうすると結婚運の悪い人に限って、自分の好みはAさんだ必ず言う。例えばイケメン、美男子、身長、美女であることに非常にこだわりをみせる。つまり結婚運の悪い人は自分の好みに固執して客観的に冷静に相手を選ぶことができないのである。私はなるほどだから結婚運が悪くなるのだなと思ったものである。そういう意味では、「嫌いな人」と結婚するのは正しいと言える。
 
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