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既におこった未来

経営学者のドラッカーは「断絶の時代」の中で、予測についてこう言っている。

未来学者は自ら予測したことがどれほど実現したかで的中率を誇る。・・・中略・・・予測の虚しさは避けられない。重大な変化は、価値観の変化、認識の変化、目的の変化など、予測不可能なものの変化によってもたらされるからである。

事業を行う者にとって重要なことは、「すでにおこった未来」を確認することである。社会、経済、政治において重要なことは、「すでに起こった未来」を機会として利用することである。それらの変化を認識し、分析する方法を開発することである。

この言葉は、運命の予測の難しさ、運命の変化の予感と対処、適切な開運の為の行動という言葉にそっくり置き換えることができるだろう。優れた知恵者の言葉は、易経の説く身の処し方に匹敵するほどの影響力をもつ。人生を取り巻く変化は急には起きない。目に見えない水面下でその構造変化が進んでいる。そこを冷静に見つめられる人は、占いも占い師も不要である。

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ピーター・ドラッカーの本
今日は占いの話を離れて経営の話をしたい。占い師といえどもこの位の社会に対する問題意識は持つべきである。あまりに狭い視野では鑑定依頼者を正しい方向に導くことはできないからである。それとかつて私は本格的立場で経営コンサルタントをやっていたので、(一応、日本国内のさるビジネススクールを出ている。だから、企業経営のあり方を知らない無知な占い師がやっているあやしげな経営診断とは違うぞ)どうしても経営問題には興味がある。「失われた20年」(失われた10年を2回繰り返した)と言う話がよく出るが、その間の日本のあり方は、政治ばかりでなく企業経営のあり方にも大いに憂い憤る所がある。

ピーター・ドラッカーの本が最近売れていると言う。嬉しい限りである。日本人もようやく、アメリカ流の金融資本主義の猿真似をすることの愚かさに気づずいたかと思う。バブル崩壊後、日本企業は短期的利益のみを追求するあまり明らかに間違った方向に行った。もう少し中長期的視野をもっていたら今もう少し希望の持てる社会になっていたと思う。その理由は明らかだ。日本企業に確固たる信念を経営理念を欠いていたからだ。

経済成長を続けている時、企業は何を作っても売れた。それは結果として儲かっただけであって、もともとしっかりした経営理念や戦略があったわけではない。だから一端経済成長が崩れだすとするとたちまち自分達の経営方法に自信がなくなったのだ。ちょうどその頃、日本は金融システムの崩壊に苦しんでいた。又、グローバリズムを主張するアメリカの金融資本主義が利益を挙げてもいた。そこで日本企業は藁をつかむ思いでそれに飛びついたのだ。生産や開発を軽視し金融収入を重視し、社員の生活保障よりも株主の利益を尊重し、社員のモラルや能力開発より成果を重視する、そういう経営の方向にかじ取りを変えた。しかし、結局企業の体力を落とし社員のモラールを著しく下げ、多くの鬱病患者を生み、日本社会の活力を落とすだけに終わった。

私はいわゆる「年功序列制度」と「年序列制度」とは違うと思う。私もやる気も能力もない人も含めて、一定年齢に達したからといって、全員を引き上げるような制度には反対だ。私はそれを「年序列制度」と呼びたい。でもそれと「年功序列制度」とは違う筈だ。青年期、中年期に実務経験をつみ実績を残した人を、一定年齢に達した時に「マネージャー」として活用するのは当然のことだ。それを成果主義の美名の下で人材を切り捨てると、モラルの荒廃を招くだけになる。当然人は育たない。

ドラッカー
ピーター・ドラッカーの代表的著作「マネジメント」の簡略版

ドラッカーは「マネジメント」と創造した男と言われている。「マネージメント」と言うと日本語では「管理」と訳されているがもう少し深い意味があると思う。それは「人」「物」「金」という経営資源の最大限の有効活用だ。中でも重要なのは「人的資源」だ。機械を動かし開発を進めシステムをつくり財テクを行う原動力は何か。結局、「人」なのだ。

ドラッカーは企業の社会性を非常に重視する。その意味でかつての日本企業のあり方を高く評価していた。『人は最大の資産である』とドラッカーは言う。その通り。かつての日本企業はそれを実践していた。少なくとも社員を育てるという風土があった。

しかし、日本企業がその経営風土をみずから自虐的に捨て去り、理念なき短期利益の追求に走り始めた時から、皮肉なことに日本企業の衰退が始まったのだ。否そればかりではない。日本社会も又、荒廃が始まった。利益が上がらないからリストラをする、給料を下げる、採用を手控える、成果をあげた者のみ賃上げをする。それは短期的にはもっともだ。問題なのはそれをどう脱却するかの中長期的視点を欠いていたことだ。

そんなことを20年以上も続けていて日本社会はどうなっただろう。確かに特定の一部上場企業だけは利益をあげるようになった。それはその筈である。リストラを行い、賃上げを抑制し、採用を手控え、教育を怠り、設備投資と開発投資を抑制し、安い労働コストを求めて海外生産に雪崩を打ってシフトしたからだ。その結果、日本企業の固定費負担は著しくさがった。それが日本企業の国際競争力を強めたのだと、経済の専門家は言う。

しかし、それは物事のある一面に過ぎない。その結果、中高年はリストラに苦しみ、管理職は過酷なノルマに追われ、若者は就職氷河期という苦難に見舞われた。長年にわたり新規採用をストップすれば技術の伝承は行われなくなる。さしもの技術王国もその技術に陰りが見え始めた。リストラ、賃下げ、失業者の増大、設備投資の抑制が起これば、消費が伸びないのは当たり前である。そうすれば企業は利益が上がらないから、又2弾、3弾のリストラ、海外生産シフトを行う。その結果は格差社会、貧困社会の到来だ。さしもの技術立国もいまや韓国、インドあたりに追いつかれつつある。まさに負のスパイラルである。そういうことを見逃してはいけない。企業が社会とのかかわりを軽視してきた当然の帰結だ。

『企業の目的の定義は一つしかない。それは顧客を創造することである。』というのはドラッカーの有名な格言だ。でも日本企業はとにかく打って出ようというベンチャーマインドにあまりに乏しい。取り組む方向性が本当に後ろ向きだ。コンプライアンス(法令順守)を言うのはいい。だが、日本企業の場合は、「公平な競争」を前提としているのではなく、自らの保身、安全性のみを追求しているように感じる。行き過ぎたコンプライアンスは企業の効率を落とし、コストを行き上げ、社員の人間関係をギスギスしたものにするのは明らかだ。アメリカからいちいち言われなくて、もともと「信用」を重んじ、「顧客満足」を心がけ「顧客創造」に努めたのは日本のビジネス社会のよき伝統である。住友の家訓、松下幸之助、本田宗一郎の著作を読むがいい。とっくの昔に日本では行われている。それをギスギスしたものに変質させるは明らかに間違っている。変質させるなら、知識社会やグローバル化、情報化に対応した形でやればいいだけの事だ。

人を大切にし、人を育て、内需の充実を図ることと、企業を成長させることは絶対に矛盾しない。エクサレントカンパニーとはそういう相矛盾することを両立させることに成功した会社のことだ。それで経営が巧く言っている日本企業はあまたある。アメリカ企業の猿真似をすることではない。マスコミはなぜそういう会社のよき企業モデルとして紹介しないのだろう。マスコミの反権力というのはポーズだけで、実は体制に迎合していると言われる由縁だ。まさに「マスコミ」ではなく「マスゴミ」と呼ぶにふさわしい。

日本企業は今こそ企業の原点に立ち返り、日本企業らしい経営理念と戦略をもつこと、それに基づいてマネジメントを行う経営風土とそれを行える人材育成に方向転換をすべきだ思う。ドラッカーの本が売れているということが、そういう兆しの萌芽であれば喜ばしい限りだ。

ピーター・ドラッカーの人物像・生き方についてはいずれ「占星術評伝」として取り上げるつもりである。
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