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失踪者を探したい

私が教えている受講生の中に、行方不明の失踪者がでた。仮にAさんとしておこう。Aさんの日頃の行状にはあまり感心しない面もあるが、子供をなんとか育てようと一生懸命である事は確かだ。少々乱暴な一面があるが、人を騙したり陰湿ないじめをするようなことはしないし金銭的にも淡白だ。インド占星術でみると1Hと10Hの間で、方角を得た木星と蟹座定座の月という良質なガージャケサリヨガをもっているので記憶力は非常に良い。語学にも堪能である。今まで色々な危機に遭遇しているがラグナロードの強さのせいかなんとか乗り越えてきている。しかし他のホロスコープの特徴をみるとちょっと問題ある部分もある。いろいろ考えてみると可哀想なところもあるので、これはAさんのカルマとして受け入れる。Aさんの職業を考えるとちょっと危険な要素を含んでおり(これについては秘密を保持するが)、突然の事故、失踪、或いは最悪突然死している可能性はある。そういうことで私は非常に心を痛めている。もし生きているならこの記事をみて連絡して欲しい。

プラシュナで占ってみるとラグナロード、マラカ、ドゥシュタが絡むアリシュタヨガができているので非常に危険だと思う。しかしその中にトリコーナ支配もありタジクアスペクトも悪くないので最悪の事態は免れていると思う。西洋占星術でみても火星t/天王星nのオポが出来てはいるので突発事故の可能性は確かにあるがハーフサムでは問題がないので、突然死、事故死はなんとか免れていると思う。気になるので新聞の三面記事等をみてみたが事件性をうかがわせる記事は見えなかった。そのアリシュタヨガ及びアリシュタバンガは12室にできているので海外逃亡かなとふと思ったりした。

それで最後の決め手として周易でみてみた。得卦は天沢履の初爻である。占的は「又、復帰してくるか?」とした。以下に過去、得卦、之卦とそれぞれの裏卦を並べた。

  過去         得卦       之卦

 だ為沢      天沢履     天水訟

    兌                             

                                        初爻

  ごん為山     地山謙     地火明夷     

   艮         謙       明夷

 

 _甬遒悗寮潴笋蓮嶌8什漾∪犬ながらえているか」  

◆‘牲気悗寮潴笋蓮崙本或いは社会復帰してくるか」と置いてみた。 

「兌」は一息つく、落ち着くという象意があるので、どこかで何とか生きながらえていると思う。裏卦の「艮」は安定性を保っていることを表す。

「履」はふみ行うという象意なので、その内に連絡があると思う。ただ少し時間がかかりそうではある。当面の復帰はないが必ず連絡はある。之卦の「訴」はしばらくの沈黙の後に突然の連絡復帰してくることを示す。こうみていくとそれほど心配することもないようだが・・・・。

このブログの読者で、プラシュナ、ホラリー、周易、断易、タロット等々卜占系の占いを用いる方で他に有用かつ確実な結果があるなら教えて欲しい。但し、当たる外れは占いだから仕方ないが、こういう事態の時にまで本多を冷かしてやろうと妙な突込みや冷やかしをしたら断じて許さないぞ!

 

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2017年が始まりました

皆さま、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

毎年新年になると、占い師ばかりでなく新聞雑誌テレビ等、今年はどんな年になるか議論彷彿となる。毎年書店に並ぶ、諸々の中国流占術の暦には「今年はどんな年か」という占筮や九星気学の記事で一杯だ。私も立筮してみたが「天雷无妄2爻」の卦を得た。无妄2爻の爻辞は「六二、不耕穫、不菑畭、則利有攸往」とある。(事を先にして得を後にする収穫の如何に拘らずして耕し、肥田のことを考えないで、新田の開墾をいたすら努力するようにやればよろし。)と訳されている。これを現実に当てはめてどう読むかという占い方が一般的である。だが私の周易の流儀は、得卦の卦辞、爻辞を読んでそのまま解釈する立場ではない。生卦法といって変爻を重視する立場であるので読み方はちょっと異なる。でも正月はちょっと占いから離れたいので、解釈はあとでゆっくりやっていきたい。

昨年は欧州で移民問題やイギリスのEC離脱があり、破天荒なトランプが米大統領に就任する動きを見ていると、マクロトレンドとしてはグローバリズムの流れに大きな変化があることは占うまでもなく分かる。それらを踏まえてどういう動きになるだろうか。

既述の通り正月はちょっと占いから離れたいと思っているので、あえてそんなことは考えずにおく。のんびりと好きな歴史書、小説等を読んで過ごすつもりである。面白そうな映画ももちろん見に行きたい。そうはいっても鑑定依頼があるのでそちらの方の事前調べはしなければならない。

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桝添都知事不信任案の成否〜天雷无妄〜
桝添都知事の不信任案がいよいよ提出される。民進党、共産党、公明党が賛成票を投じることははっきりしている。自民党だけが態度がいまなお曖昧である。自民党も公私混同の甚だしい桝添氏をもはや見放してはいる。ここで不信任案に反対すれば参院選への悪影響は必至とみている一方、現状では次の都知事候補は誰にするか見通しがたっていない。自民党は苦しい立場に立たされている。しかし、この不信任案が可決されるかどうかは自民党の態度如何にかかっている。今日は「周易」でその点をみてみた。

占的:自民党は都知事不信任案に賛成するか
得卦:天雷无妄初爻

設問1:世論の動きに従うか
設問2:次の都知事選の見通しがたっている
変化:その結果どういう結論になるか。

これをそのままならべてみる。
      過去(設問1) 現在(得卦:設問2) 未来(結果)                        
        沢雷随   天雷无妄      天地否
   裏卦         山風こう         地風しょう                地天泰
 
得卦の変爻より一つ前をひっくり返して得られた過去の卦は「沢雷随」であり自民党としては世論に従わざるを得ない。巷の声は圧倒的に「桝添やめろ」の声が圧倒的である。裏卦の「山風蠱」は政権の腐敗に対処せざるをえないことを意味している。得卦から見る限り自民党はまだ明確な方針が定まっておらず曖昧な対応をする筈である。党議拘束なしの自由投票か自ら不信任案を提出するか別の形をとるだろう。しかし、易経に「正にあらざるものは眚(わざわい)あり」とあるように、桝添をかばうことは正義にかなわないことを自民党が悟れば賛成にせざるをえない。そして得卦の変爻の結果得られた卦は「天地否」である。「否」だから不信任案が否決されるとみるのはマニュアルワーク的というか、易経の文言通りの表面的な解釈である。この場合は、過去現在の状況が否定される、つまり変わると解釈する。桝添に辞任の意思はなく議会のまだ追及も甘い現状から一変した状況に変わるということであり、不信任案は可決されるとみる。そうすれば「泰」、即ちいったん事は収まるのである。 
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ダシャー、大運そして解決策としての「周易」
占い師にもいろいろのタイプがあって、自分の専門とする占術以外の占術はやたらやるべきではないという立場の人達がいる。積極的に使うべしという立場の人達がいる。私は混用はすべきではないが併用はすべしという立場なので後者の立場だ。なぜなら、それぞれの占いには強み弱みとがあって、上手に使えばその長短を補うことができるからだ。自分の専門とする占術のスキルが弱いから他の占いの助けを借りなければならなくなる、つまりお前の腕はヘボなのだというのが前者の立場の人の主張だ。だが、効率的に当てられるのなら、頑なに一つの占術に固執することはない

命理系占術は人生全体の流れと節目節目の出来事を的確にみていくには最適の占術だと思う。ただ命理系占術は宿命とかカルマということを言って、指摘が的確なだけに悪いと出た時には目も当てられない面がある。占星術によって相手を傷つけてはいけないという理屈はよく分かる。しかし悪い結果を相手が納得いくように、受け入れるように上手に話すというのは口で言うほどやさしいことではない。だから私はこういう主張を素直に受け入れる気にならないのだ。「偽善」『独善」として斥けている所以である。どこかの占い師がブログにて「占いを盲目的に信じすぎる人、あまりにも感受性が強くて傷つきやすい人の鑑定はお断りします」と書いていたが、私も同じ立場だ。

占いのアドバイスで一番困ることは、悪いと出た場合で、そのことに対する明確な解決の処方箋がない時である。医者が不治の病を患者に宣告するようなものである。特に占星術は基本的に診断はしても治療法については関与しないという立場だ。インド占星術でも開運法はいろいろある。英語で「Remedy」というがその関係の本を読むとムフルタ、ヴァシュトゥ、宝石、ヤントラ、マントラ、プージャ、等々いろいろ書いてある。それも流派や占星術師によってさまざまな主張があり必ずしも一枚岩ではない。宝石の効果、マントラの効果、善根を積むことについて、その効果がどこまであるのか私は確認したことはない。人相学の大家水野南北のような節食による効果というのも健康増進という面ではまちがいなく効果的だろう。だがそれが開運に結びつくかというと私は正直分からない。(悪い筈がないことは認めるが)結局は、不運を乗り越える心構えとその方法、勢いのいい時に足元をすくわれないための心構えを言うしかない。そんな時に、単なる処世訓ではなく具体的な対処法として使えるのが「周易」である。「周易」の「卦辞」や「易経」の文言を現実に当てはめ、苦境を乗り切る術を一緒に考える。これは現実的な問題解決法として有効と考える。

悪いダシャーをむかえている時、「自重しなさい」、「マントラを唱えて祈り神に捧げなさい」、「ヴェーダの教えを実践しなさい」では解決にならない。私は悪いダシャーの時期の人には、たとえば乾為天初爻の「潜龍用いるなかれ」の教訓をよく説明することにしている。乾為天初爻の具体的内容、解釈はまた別の機会に讓るが、まだ力が備わっていない龍が潜むような冬の時代には冬の時代なりの身の処し方がある。この現実をよく認識してもらうことが大切なのだ。世の中の不幸の多くはこの自己認識を誤って、現実とかみ合わない行動をとることから始まるその判断力こそが人生において何より大事なのだ冬の時代にある人を傷つけてはいけない等の理由で今が春の時代などという嘘をつく気に私はならない。易経には抽象的にしか書いていないが(占いは常にシンボリックにしか物事を語らない)、それを具体的、現実的なレベルまで落とし込むことである。そしてこれは占い師の専門知識や鑑定技術以外の重要なスキルであると思う。その手段として私は易経を積極的に用いる。だから私は異なる占いは積極的に活用すべしという立場にたつ。
 
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周易がなぜ開運と結びつくのか
周易は基本的には「吉凶」を占うものである。しかし、同時に人生の生き方の知恵をも教えてくれる。いわゆる処世術である。それを守ることによって、結果として開運に結びつく。私はそんな風に「周易」を理解している。射覆(せきふ)と言って、箱や袋や布などで覆われて 隠されているモノはいったい何かを当るテクニックも易の中には存在する。周易の勉強にはいいが、私はそんなマニアックすぎることにさほど興味はない。

人がいろいろと人生経験をしてくると、必ず過去に経験したことと似たような事象や人物と出会う。そんな時に役に立つのが過去の「成功経験」「失敗体験」である。そのことを踏まえて、新たな行動をとってみると成功とはいかないまでも、それなりに事は無事におさまる。それがいわゆる経験知である。しかし、一人の人間が人生において経験する数や内容には限りがある。常に未知の問題がやってくる。そんな時に役に立つのが、周易というか易経の文言である。

今はいいがそれが何時までも続くのか、逆に今は苦境に陥っているがどこかで反転して巻き返せるか、行動を起こすタイミングはいつがいいか、逆にどのタイミングで退くべきかそんな時は立筮するに限る。苦境の時,火水既済を得れば辛抱すれば事態は改善する迷う時天下同人を得ればしばらくは既定方針を貫けばよい。易はそんなとるべき行動を不思議と的確に教えてくれる。すべてのホラリーがそう言うように、真面目な占筮結果は天の声である。

得卦を現実に照らしてどう解釈してどう洞察するか、そこが周易のすべてであると私は思っている。易経を暗記しているかいないかとか、変爻のテクニックがどうしたのというのは二の次でよい。何度も占筮して易経を深く読むことを続ければ易経の文言は自然に覚えるものである。
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天雷无妄の解釈
易卦の中で「天雷无妄」は解釈がしにくい方の卦であろう。无妄は「予期せぬ」「計画だてられていない」等の意味があり、無私、無欲にありのままの自然体で生きるべき時を教えている。

易経卦辞には无妄は「无妄は元に享る。貞しきに利ろし。それ正にあらざるときは、眚あり。いくところに利よろしからず。」と書いてあり、現代文に直すと次のように解釈できる。(万事順調にいき、占問したことには利がある。ただわが方に正義がなければ災難にあい出かけていくのはよくない)この卦を得た時は。人に欲や期待があるときは眚(わざわい)があると書いている。

天雷无妄
 天雷无妄

周易は第一義は占断の道具として、事の吉凶をみていく。しかし第二義的には現在自分が置かれている状況を象徴的に示す。それがよい状況でなければ、易が示す状況を受け入れそれに従った判断、決断、行動をとることにより苦境を脱し得ることを示唆する。これができれば自らの事も正しく占断できる。しかしここで自らの欲望や価値観を克服できないのが人間の弱さなのである。従って、世間から占い師も含めて、専門家は「易者身の程知らず」「論語読みの論語知らず」「紺屋の白袴」「医者の不養生」のようなことを言われることになる。

例えば「无妄」の卦を得たならば、占者は被占者から「欲望のままに自分勝手な欲や期待を満たそうとしているかどうか」を話をよく聞いて判断する必要がある。それで始めて吉凶の決定ができる。易経の卦辞や爻辞の文言だけを字義通を真に受けた解釈をすると正しい吉凶判断はできない。

人は必ず「状況判断」には「自惚れ」や「価値観の囚われ」がある。これが強すぎる人はと他者の運勢判断はともかく自分の運勢判断では客観的判断ができない。占断をするのに人間修行が必要であるならば、まさにこの点である謙虚、抑制、中庸、正義等を説くのはこのためである。私から言わせると、これは占星術や風水等他の占術を使う時もよく出ているように思う。しかし占い師も人間である以上、これは生易しい事ではない。
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安保法制の実現の成否
安全保障法制法制を巡って、政界では対立が続いている。見ていて感じるのは日本の左翼は劣化したという印象だ。もっとも右翼=保守的、左翼=革新という定義は正しくないと思う。実態は「戦後レジーム」からの脱却をめざす勢力=改革派が右翼と呼ばれ、憲法9条を信仰のように固執する勢力=守旧派が左翼と呼ばれている。主義主張の正しいか否かは別にして、かつての日本の左翼はもう少し知的だった。ヘーゲルの弁証法、マルクス主義とは何か、史的唯物論となにか、搾取や剰余価値について滔々と語れた。「資本論」をドイツ語で読める人もいた。共産主義勢力に対しても、スターリン批判、毛沢東批判、文化大革命批判もちゃんとやれた。そもそも70年代の学生運動は共産革命を巡る内部闘争だった。

しかし今の左翼はまるでお馬鹿さんだ。しかもその多くは白髪に染まった全共闘世代の生き残りだ。この人達はその後の人生で何の進歩もなかったようだ。情報化、グローバル化、国際政治学の知識などみじんもない。相変わらず対案がない。安保法制に代わって日本の平和を守る手段はなにがあるか、そんなことは考えたこともないだろう。昔はソ連、今は中国の意を受けて、「憲法9条を守れ」と声高に叫ぶだけだ。つまり政策立案能力がないのだ。そんな馬鹿に政権は任せられない。彼等は北朝鮮の拉致問題、中国のチベットウィグル弾圧の事を一言も言わない。極東の平和は憲法9条ではなくで、「中国の民主化と民族の自立」「韓国の脱反日」「日本の知的自立化」によってのみ実現できる。

かつて福沢諭吉は「脱亜入欧」を主張した。悲しいかなその外交原則は今も有効である。具体的に言うと、この場合のアジアとは中韓に限定される。アジア蔑視ではない。彼等がいつまでも朝貢外交に固執する限りつき合う必要はない。反日に固執する中韓に縛られる日本には何一つよいことはない。グローバルな外交が必要ということだ。アメリカ、インド、オーストラリア、東南アジア、ロシア、EU,中東、中南米、アフリカと全世界を相手にし、悪しき隣人を謝絶することだ。

こういう現状では野党の法案の阻止は難しいと思う。そんなことは占わなくても分かる。それでも念のために占筮を立ててみた。
            
地沢臨      地雷復 
得卦 地沢臨2爻   之卦 地雷復

得卦が「臨」で之卦が「復」となっている。爻辞は「咸臨。吉。无不利」卦の細かい説明はここではしない。答えは簡単である。政府の決断一つでこの法案は通る。ふらふらしないで既定方針を貫き通せばよい。占星術でみてもその後の安部政権が崩壊することはない。
 
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易経にみる運気の消長変化
易経は運気の消長を示す占いの経典である。その示す原則は「強すぎてもよくないし弱すぎてもよくない」のである。理想とするのは「中庸の徳」である。強すぎる卦がでる時それは次に運の衰退を招くことを表し、弱すぎる卦がでた時、それは次から運気が持ち直し始めることとを意味する。運勢の将来を断ずるとき、一度だけ神意を問うことが原則である。それは単なる偶然とは言えない。誠意をもって神意を問う時、天は吉凶とともに人のなすべき行動も同時に教えてくれる。
      
乾為天上爻   沢天夬
乾為天上爻   沢天夬

神意により乾為天上爻の卦がでた時、その爻辞の意味である「亢龍有悔(こうりゅうくいあり)」を読むことも大事だが、乾為天上爻が変爻して「夬」となり、その象意の「壊す、潰れる」という字義に即して、運気が変化することを読み取ることも重要である。易とは「変化の古典」と訳され、運気の変化を実際の現象に即して読んでいくことにより確実に易卦を読むことができる。
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地天泰〜小往き大来たる。吉にして享る。〜
 一昔前の街頭易者の看板に必ず描かれていたのが地天泰の卦象図だ。いわば易卦を代表するものと言える。

地天泰
  地天泰

この卦は重い陰の卦は下に降りようとし、軽い陽の卦は上に昇ろうとする。そこで陰陽はまじりあうことになる。そこで物事は安定するので、この卦が出た時は物事が安泰で吉意が生じる。だからこの卦が吉祥うぃ意味数するところから易者の看板の象徴的な卦として用いられたのだろう。しかし、実際の易の見方はもう少し深い。

占筮によって地天泰が得られた時、必ず陰陽をひっくり返した形の裏卦を見る。地天泰の裏卦は天地否である。

天地否
 
 
  天地否

この卦は地天泰とは逆で上卦の陽卦は上に昇ろうとし、下卦の陰卦は下に降りようとする。つましバラバラでありお互いに通じない形になる。地天泰の「泰」は完全に安泰なのではなく一時的に安泰な状態を意味する。そしてその安定が崩れた時は幸運も崩れる。今は安泰であっても裏卦が「否」であるということは、近未来ではそれが崩れることを暗示示する。

従って、占筮の結果、地天泰の卦を得たら現状が上り調子であるの下り坂であるかで吉凶の判断は異なる。易断の判断の妙はこの辺にある。
 
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易経と実践哲学

周易は卜占術の代表的占いである。卜占術には周易、断易、六壬、タロット、ホラリー、プラシュナ等いろいろの方法がある。我田引水ながらその中で、周易は卜占術の中の王道を行くものだと思う。私の経験では周易の占筮竹技法は他の卜占術を行う時も応用がきく。ホラリー、プラシュナを行う時でも、占的を絞ること、筮前の審事といって占いたい事象の状況をよく知ることは必須である(これも周易の中のある流派の考え方ではあるが)。単に卦象だけを読み込んだり、天体の配置だけを分析しても、腕がよければある程度はわかるであろう。しかし、前記の作業を併用して行うならば更に具体的に深いレベルまで読み取れる。他の卜占術に周易の技法を応用するのは邪道などと狭く考える必要はないと私は思う。※そこらあたりの考え方が一部の占い師や占星術師と相容れないのだろうが、占いが基本的には個人芸である以上、特に卜占の場合は、技法の使い方にはある程度の自由度があっていい筈である。つまりマイルールが許される分野である。

周易は道徳を教え断易は占断を行うという占い師がいるが、それだけではない。周易は占的を適切に絞り筮前の審事をしっかり行えばかなりよく当たる。しかし周易の真骨頂は他の点にある。周易の占断は同時にただ吉凶を占うだけでなく実践哲学、処世術をも教えてくれる。立筮をして得た卦によって今自分が置かれている状況と問題の吉凶及びその対処法を示してくれる。得卦や易経が示す状況を読み取り(それをどう読み取るかが易者の腕のみせどころであるが)、「何をすればうまくいくか」或いは「何をすればうまくいかないか」という人生の出所進退の方法を教える。大切なことは読み取った対処法を実際にやってみることに意義がある。易は願望成就の占いではない。そこで指示されるものはは必ずしも自分の欲望や願望と相容れる方向ではないかもしれない。しかしそこでぐっとこらえて状況にあわせた適切な行動をとることに意義がある。それが守れなければ、実行しきれなければ占筮した意味がない。そういう意味では、易経の教えの実践は宗教的修業とはまた違った意味での「人生修行」と言える。そこが私が周易を好む理由である。

易経の基本的な考え方は、「満つれば欠ける」「窮まれば通ず」に尽きると思う。易は陰陽の消長で状況を我々に示し、問題解決の方法を教えてくれる。状況の変化の動きを陰陽の変化でみる12消長卦では

山地剥   坤為地.jpg  地雷復    
山地剥  →    坤為地  →   地雷復  

物事の動きの変化を、山地剥(物事が剥がれる)、坤為地(時機を待つ)、地雷復(一陽来復、回復する)の順番で考える。もしある人が行動を起こすに良い時期かどうか占った時、山地剥や坤為地の卦の時は、「時を待つ」「時節到来を待つ」状況にあり、行動してはいけない時である。その逆に地雷復の卦を得た時は「時節到来」の時である。この時は積極的に行動を起こさなくてはいけない。しかし、いわゆる「ついていない人」はどういうものかこの逆をやる傾向がある。分かっていてもやめられないのである。それがインド哲学でいうカルマなのだろうが、ここが辛抱のしどころである。人間、カルマなどといって消極的になってもよいことはない。積極的な実践哲学を行ってこそ道は開ける。これこそ人生修行の要訣である。

※ Aという占いとBという占いを無原則に融合させようということではない。Aという占いの弱い所を、或いは読み取れない所をBという占いで補完、補強しようということである。多くの実践占い師はそうしている。一つの占いですべて見ていけるという主張もあるが、それだけが正しいというわけではない。

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