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文永2年元旦の日蝕
 歴史上の人物や出来事を占星術で分析できたら面白いと思うが、古い時代の出来事の時間はよく分らないことが多い。しかし、時には歴史書等に歴史上の出来事がいつ起こったかはっきり記録され散る時がある。そんな時、占星術で分析を試みるとなるほどと思う時がある。

鎌倉時代の歴史書である「吾妻鏡」には毎年の鎌倉幕府の主要な出来事が欠落した個所はあるが、大体記録されている。

文永2年元旦に連署となった15歳の北条時宗は正月3ケ日に主君に忠誠を誓う意味で、家臣が主君に酒肴を献上し、これを受け取った主君が側近達と酒宴を開く行事の世話役を務めることになった。これを「垸飯役」という。その元旦は事前に天文通の博士から「その日、日蝕あるべし」と、予言されていた。しかし、その日は前夜から雨が降り続いていたので、遂に日蝕は見られなかった。だが、将軍宗尊親王は垸飯の席には現れなかった。側近から、「必ずや不吉のことあるべし」と、京下りの公卿から出席を反対されたらしい。そんな記録が「吾妻鏡」に書かれている。

12650126日蝕
           文永2年元旦の蝕図(SG使用)

上図は、文永2年元旦をグレゴリオ暦に変換したものである。ちょうど1265年1月26日午前9時52分に太陽と月がコンジャンクションしノースノードもオーブはちょっと離れているが近い位置にある。部分日蝕位は発生しているだろう。(当時用いられていたユリウス暦に直すと、1965年1月19日に相当する)IC軸にコンタクトしているサインは水のサインの蟹である。そのルーラーの月は太陽ばかりでなく水星やモイストの金星とコンジャンクションしている。これらの惑星はいずれも降雨を示す海王星とオポジションになっている。この配置なら雨が降ってもおかしくない。そしてこの直後に、比叡山延暦寺と三井寺との間に争論があり一触即発の事態となったとの早馬が京より鎌倉に届いている。

これから推測する限り、その当時すでに蝕があると何か変事が起こるということは分かっていたようである。また、これから見る限り天文観測技術もかなり正確である。これらの暦法や観測技術はどこから伝えられたものであろうか。当時の宿曜道ではこのような観測が可能な技術や暦法が伝わっていたものと思われる。
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