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書評:世界史と西洋占星術

正月はのんびりと過ごし何冊かの本を読んだ。歴史書、小説、経営書等々の中に占い本も1冊だけ含まれる。それが下記の「世界史と西洋占星術」という本である。内容は題名の通り、世界史といっても西洋史であるが、その西洋史と占星術の発展衰退変容過程を書いたものである。ギリシャで発展しローマに伝わったギリシャ古典占星術であるが、ローマ帝国が崩壊し、更に西ローマ帝国が滅びる過程で西洋占星術は衰退をむかえる。キリスト教が普及してくると、聖書の中には占星術を敵視する句がいくつもあり、弾圧の憂き目にあう。しかし不思議と滅亡には至らず細々となんとか命脈を辿っている。そしてルネッサンス期を迎えてから、イスラム世界から逆輸入する形で西洋古典占星術が再びヨーロッパに入り込んでくる。まずはそんな経過が書かれている。

 

世界史と西洋占星術

ニコラス・キャンピオン著

私がこの本で一番興味深かったのは、第16章の19世紀神智学的啓蒙主義以降のあたりである。そこで登場するのが、ヘレナ・ペトロブナ・ブラバツスキーである。彼女のもとで世界の隠された真実の性質を明らかにし、物質主義的科学観に反旗をひるがえす神智学がうまれる。水瓶座の時代の到来を主張し、彼女の夢を具体的に実現させたのはアランレオである。アランレオは強い霊的な使命感を持つと同時に商才にも長けた男であった。「シリング」ホロスコープといって1シリングで鑑定依頼に応えた。物質的な地球に対して精神世界の中心として太陽を捉え、いわゆる太陽占星術をはやらせたのも彼である。1674年に書かれたウィリアムリリーの「クリスチャンアストロジー」はつとに有名であるが、その832ページの中で牡羊座の記述は半ページである。これはインド占星術においても同じで星座・サインについての記述は古典では少ない。

しかしアランレオはこの伝統的な体系を、12サインを基にした占星術に作り替える(伝統主義者からは占星術を破壊したという非難を浴びせられるが)予言よりも自らの内なる性格と向かい合うことを中心とするのである。これには西洋古典、西洋モダンの科学主義、インド占星術を専らにする立場からは抵抗があるが、それが現在、数の上だけなら主流となっていることは間違いない。その後の西洋占星術はニューエイジの時代をむかえ、シュターナー、アリスベイリー、ディーンルディ、ユング等々の心理主義の流れとなる。更にそうしたオカルト主義に対する批判も生まれ、ミシェルゴークランのような科学主義にもとづく占星術研究も起こってくる。こうしてみると現在の西洋占星術の百科争鳴の様相の背景がよく見えてくるように思う。

この本とは直接関係ないが、こうした歴史書を読むとインド占星術でも歴史との関連性を書いた本が出版されると面白いと思う。しかしインド人は歴史を記述しない文化的伝統があるようで、どうもそういう文献が出てこない。古いヒンズー寺院の奥深くに隠されているかもしれないし、口伝だけで文献としてはないかもしれない。サンスクリット語等の言葉の障害、日本ではまだ導入して日の浅く情報量そのものが少ないインド占星術ということもあって、こういう本の出版は当面難しいだろう。

 

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空海の風景〜天才空海を語る本〜
私は歴史小説と推理小説の愛読者である。歴史小説の中では司馬遼太郎の小説が好きである。口の悪い評論家に言わせると、司馬遼太郎は、日本が高度成長期にあった時にその当時の「企業戦士」の価値観に合致した人であるという。高度経済成長が終わってバブルが崩壊し、以後失われた20年以上たった今日、司馬遼太郎は時代遅れなのだそうだ。

坂本龍馬を描いた「龍馬が行く」や日露戦争の秋山兄弟を描いた「坂の上の雲」は必ずしも史実ばかりではないと批判する人もいる。しかしそこは歴史小説と歴史研究は立場がちがうし、小説はとにかく面白くなくてはしょうがない。それに史実と言っても、司馬遼太郎が生きていた時代に分かっていたことと、最近になって新しく分かってきた史実がちがっても、司馬遼太郎の評価と彼の小説の価値をいささでも損なうものではないと思う。

司馬遼太郎の小説は、戦国、幕末を中心に幅広い歴史的題材を扱っている。海外をテーマにした小説もある。そんな中で特に好きな一冊を上げろということになると、私はこの本を挙げる。それは「空海の風景」である。日本に本格的な密教を導入した空海の生涯を描いた物語である。​

空海の風景
空海の風景(中公文庫)

この本のあらすじをいうと、空海の生い立ちから悟りに至った過程、唐留学への経緯、唐の都長安での修行と恵果との出会い。帰国後の最澄との葛藤等を描いている。そして司馬遼太郎は空海を、ミケランジェロやダビンチに匹敵する総合的に物を捉えられる天才と言っている。そしてこのような人物は日本史上稀であると言っている。彼の才能は密教にとどまることなく書道、詩文、薬学、土木工事、治水等多岐に亘る。当時の仏教僧が尊敬された理由は、宗教上の知識だけでなく大陸の先進文化や技術に明るかったからだという。今日の葬式仏教とは違うのである。

空海の唐への渡航以前の経歴は必ずしも明らかではない。空海は讃岐佐伯氏の出自で、東北の蝦夷も流れではないかと司馬遼太郎氏は書いている。空海の唐への渡航以前の行動経歴は必ずしも明らかでない。ただ空海が悟りに至った「虚空蔵求聞持法」を唱える修行の過程が鮮やかに描かれている。そして空海は唐への留学も私費で行なっている。こんな所にも官費留学した最澄への強いライバル心があるのだろう。

司馬遼太郎が描く当時の長安の描写景はなかなか面白い。胡人、インド人や西域の人々であふれ、仏教寺院ばかりでなくゾロアスター教、マニ教、景教の寺院も合ったらしい。長安はまさにその当時、有数の国際都市であった。

空海は留学先では師に恵まれた。すでに晩年になった恵果は、中国人ではなくなんと外国人留学生の空海に「遍照金剛」という号を与える。灌頂を受けつつも、僅か三ヶ月で両部の秘密を悉く学んだ。空海は語学の天才でもあり漢語漢文を見事に操り、二百余巻もの根本経典も原典・新訳・漢語訳を含めて、これらをすべてを独学で修得したらしい。空海はまさにルネサンス期のダヴィンチ、ミケランジェロに匹敵する総合人としての天才なのだ。こうしたところに恵果も才能を認めざるを得なかったのだろう。国費で唐に渡った最澄とは異なり、空海は、私費留学で金銭的に限界もあり、長安での滞在は僅か2年に満たない。しかし本来の20年分の経費をも、惜しげもなく、一挙に、曼荼羅や密具への謝礼や経典写経の経費に充ててしまったのである。日本に宿曜経占星術の主要部分をもたらしたのも彼の功績だ。

帰国後の最澄との葛藤も印象的である。年下の空海に頭を下げて教えを乞う最澄は人間としては立派だと思う。しかし空海には当時の他の仏教をはるかに凌ぐ真言密教を確立したことへの自負があったのだろう。この本の中で、最澄が空海に、密教は本を読むだけでは学べるものではないと冷たく言うのである。天才空海の思想を受け継ぐ真言宗と後世の日本仏教の中心となる天台教学と比叡山の違いの萌芽がすでに見て取れる。天才空海の後、真言宗にはさほど優れた僧はでないが、天台宗からは後の鎌倉仏教を作った名僧達が輩出する。
 
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原訳スッタニパータ(蛇の章)
スッタ・ニパータは、初期仏典結集が行われる前から知られていた経典です。スッタは「糸」という意味ですが、公式という訳が近いでしょう。「ニパッタ」は集まりという意味で、スッタの選集という意味になります。

怒りという猛毒を瞬時に消す(第1章)

体に入った蛇の毒をすぐに消すように、
生まれた怒りを速やかに制する修行者は、
蛇が脱皮するように、
この世とかの世をともに捨て去る

この蛇の経典では。蛇の脱皮を喩えに使っています。ここでの「怒り」とは、悩んでいる、苦しんでいる、迷っている、トラブルが多い、等々それらすべてを凝縮した「怒り」として含んでいます。
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読書紹介(1)〜日本的革命の哲学(山本七平)〜
今日は、私の愛読書の中から1冊を紹介したい。それは「日本的革命の哲学」という本である。この本ばかりでなく「日本人とユダヤ人」「空気の研究」等、山本七平氏の著書は私の愛読書である。

日本的革命の哲学
日本的革命の哲学

日本には改善はあっても革命はないと言われている。しかし、著者によれば、貴族政治から武家政権の転換は実質、「革命」に近いという。天皇制を維持しつつも実質的に武家の統治への切り替えに成功した秘訣は日本独自の統治の哲学があったからという。
「革命」というのはフランス革命やロシア革命のように、古い体制を根絶やしにするばかりでは成功しない。北条泰時及びその周辺のブレーンの作った関東御成敗式目(貞永式目)こそが日本独自の革命哲学であろう。古代日本は中国の律令制度を導入したがは、日本人の価値観に合わないため、結局、科挙制度を始めとして日本には定着しなかった。その点、貞永式目は当時の武士の生活習慣に立脚していたので定着した。貞永式目は当時の武士の問題解決の考え方をまとめた慣習法である。その点、イギリスの法令に近い。内容的には、いわゆる「物の道理」「筋を通す」「御恩と奉公」「喧嘩両成敗」等々、今に至る日本人の価値観、生活観に根づいたもの考え方が中心となっている。だからこそ、その後明治に至るまで統治の基本となったという。まったく同感である。日本の適切なグルーバル化への対応を考える上でも参考になるし、日本人の宗教観、政治哲学の本質を知る上でも参考になる。
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