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易経と実践哲学

周易は卜占術の代表的占いである。卜占術には周易、断易、六壬、タロット、ホラリー、プラシュナ等いろいろの方法がある。我田引水ながらその中で、周易は卜占術の中の王道を行くものだと思う。私の経験では周易の占筮竹技法は他の卜占術を行う時も応用がきく。ホラリー、プラシュナを行う時でも、占的を絞ること、筮前の審事といって占いたい事象の状況をよく知ることは必須である(これも周易の中のある流派の考え方ではあるが)。単に卦象だけを読み込んだり、天体の配置だけを分析しても、腕がよければある程度はわかるであろう。しかし、前記の作業を併用して行うならば更に具体的に深いレベルまで読み取れる。他の卜占術に周易の技法を応用するのは邪道などと狭く考える必要はないと私は思う。※そこらあたりの考え方が一部の占い師や占星術師と相容れないのだろうが、占いが基本的には個人芸である以上、特に卜占の場合は、技法の使い方にはある程度の自由度があっていい筈である。つまりマイルールが許される分野である。

周易は道徳を教え断易は占断を行うという占い師がいるが、それだけではない。周易は占的を適切に絞り筮前の審事をしっかり行えばかなりよく当たる。しかし周易の真骨頂は他の点にある。周易の占断は同時にただ吉凶を占うだけでなく実践哲学、処世術をも教えてくれる。立筮をして得た卦によって今自分が置かれている状況と問題の吉凶及びその対処法を示してくれる。得卦や易経が示す状況を読み取り(それをどう読み取るかが易者の腕のみせどころであるが)、「何をすればうまくいくか」或いは「何をすればうまくいかないか」という人生の出所進退の方法を教える。大切なことは読み取った対処法を実際にやってみることに意義がある。易は願望成就の占いではない。そこで指示されるものはは必ずしも自分の欲望や願望と相容れる方向ではないかもしれない。しかしそこでぐっとこらえて状況にあわせた適切な行動をとることに意義がある。それが守れなければ、実行しきれなければ占筮した意味がない。そういう意味では、易経の教えの実践は宗教的修業とはまた違った意味での「人生修行」と言える。そこが私が周易を好む理由である。

易経の基本的な考え方は、「満つれば欠ける」「窮まれば通ず」に尽きると思う。易は陰陽の消長で状況を我々に示し、問題解決の方法を教えてくれる。状況の変化の動きを陰陽の変化でみる12消長卦では

山地剥   坤為地.jpg  地雷復    
山地剥  →    坤為地  →   地雷復  

物事の動きの変化を、山地剥(物事が剥がれる)、坤為地(時機を待つ)、地雷復(一陽来復、回復する)の順番で考える。もしある人が行動を起こすに良い時期かどうか占った時、山地剥や坤為地の卦の時は、「時を待つ」「時節到来を待つ」状況にあり、行動してはいけない時である。その逆に地雷復の卦を得た時は「時節到来」の時である。この時は積極的に行動を起こさなくてはいけない。しかし、いわゆる「ついていない人」はどういうものかこの逆をやる傾向がある。分かっていてもやめられないのである。それがインド哲学でいうカルマなのだろうが、ここが辛抱のしどころである。人間、カルマなどといって消極的になってもよいことはない。積極的な実践哲学を行ってこそ道は開ける。これこそ人生修行の要訣である。

※ Aという占いとBという占いを無原則に融合させようということではない。Aという占いの弱い所を、或いは読み取れない所をBという占いで補完、補強しようということである。多くの実践占い師はそうしている。一つの占いですべて見ていけるという主張もあるが、それだけが正しいというわけではない。

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