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人気モデルの手相

下図は某人気モデルの手相である。

馬場ふみかの手相

 某人気モデルの手相

モデルというのもなかなか厳しい商売で、競争が厳しく栄枯盛衰が激しい。そんな中で生き残っていくには際立った個性と強い運が必要になる。上図の手相をみると、薬指の下の太陽丘と木星丘の隆起が目立つ。太陽丘は水星丘側に発達しているので話しは巧いだろう。月丘の発達と手掌の外部から月丘に強く昇る上昇線、強い希望線も特徴である。頭脳線は長く直線に横に走るが、最後の部分で少し下部に下がっている。しかし強い運命線は見られない。この特徴を一口で言うと、華やかで目立つ性格外見と周囲からの寵愛を受ける女性である。強い寵愛線があるからこの引き立ては相当強いし人気もある。木星丘の発達や強い希望線もあるから、本人もそれなりに努力する。典型的な人気モデルの手相といえる。しかし強い運命線、太陽線は見られないので、長い間芸能界にいることはないだろうし、女優等に転じることもない。一時の華やかさで終わるだろう。しかしすっきりした頭脳線なのでそこらへんの引き際は適切に考える人だろう。

 

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3つの高揚惑星でも出世しない人

インド占星術では惑星の品位を重要と位置づけている。個人のホロスコープをみても、高揚惑星やムーラトリコーナの惑星が3つ以上以上ある人はそうはいない。しかし問題なのはその高揚惑星の品位というか力強さなのだ。

3高揚惑星でもたいしたことない

  3つの高揚惑星&ムーラトリコーナのあるホロスコープ

Aさんは自営業者としてそれなりの仕事はしている。しかし、彼のホロスコープからみると今一つ商売はパッとしない。その高揚惑星の配置をよく分析してみると、土星は高揚しているがウパチャヤの6室支配の金星とコンジャンクションし高揚木星にアスペクトしている。月は高揚しているが度数は0度のRSである。木星は高揚しているが8室支配の逆行であり、凶星の土星からアスペクトを受けている。土星は6室にあり凶星のケートゥからアスペクトを受けている。このホロスコープは高揚惑星が多いとはいえ6室支配、8室支配とも傷ついており、人生における苦労は多い。彼は商人として一応やってはいるが収入はそこそこであり、アパートの一室に住んでいるにすぎない。彼のD9における土星は減衰している。これではせっかく3高揚と1ムーラトリコーナであっても大成功は不可能である。

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カルマと開運法についての考察(2)

インドのようにカースト制度による現世的縛りが強いが、現実に貧困、病気、差別で苦しむ人々が多い国は、カルマの法則に従う気持ちが強い反面そこから抜け出したい気持ちも又強い。だから矛盾しているようであるが、インド占星術はカルマの法則を強調している反面、そこから脱却する運命改善法(remedies)もまた発達している。インド占星術というと宝石処方がよく知られているがそればかりでなく、ヨガ、ワシュトゥ(インド風水)、方位、相性、マントラ、ヤントラ、ヤギャ、パンチャンガ等々無数の開運法がある。日本での方位学、拓日、風水、家相、墓相、印相、姓名判断、祈祷等々を加えると世の中にはかなりの開運法が存在する。

それらの中にはいかがわしい胡散臭いものあるが、すべて無駄だとか詐欺行為だとは私は思わない。上手に使えばそれなりの開運効果(現世的な意味で)はあるだろう。問題は相矛盾する宿命やカルマとの兼ね合い、その選択方法、適用限界、適用方法だろう。特定の開運法をむやみやたらに使えば即開運するものではない。そういう人間の欲望の無限拡大性を助長する考え方こそが、まさに愚かなカルマに他ならない人間の欲望をいたずらに刺激する開運法は、実は不幸を助長するものである。怒り、争い、嫉妬、独占、拝金等々、これこそ人類の不幸の根源である。

そういう意味で、カルマの法則と一番矛盾しない開運法は、食事療法ではないかと思う。江戸時代の日本の人相学者、水野南北の「南北相法修身録」はあまりにも有名である。街頭易者から貧相,凶相、死相を指摘された水野南北が、食を慎み腹八分目を心掛けた結果それらの凶相が消えた話こそ開運法で一番参考になる。人間の不幸の原因が欲望に対する煩悩我執への囚われからくるとすれば、腹八分目、即ち食欲の制御は大事な修行である。人間の欲望の第一は食欲である。それがコントロールできれば他の欲望のコントロールも順次、可能となる。たとえば性欲の制御、そして金銭欲に対する制御もある。それらをなくせというのではなく、我欲に走らない範囲の中でコントロールしろという事である。しかしこれは実は容易なことではない。釈迦の悟りが完成に近づきつつあった時、それをさせまいとして悪魔が近づき、美女の媚態を釈迦に示して修行の完成を妨害した話は有名である。それらは実話ではないだろうが、人間の修行にとって性欲の制御がいかに難しいものかの例えだと思う。或いは政治家、芸能人等のスキャンダルの殆どは金、女(男)、名誉、飲み食いにかかわるものである。賄賂、ハニトラ、不倫、虚飾で失脚する政治家や芸能人のなんと多いことか。学者、僧侶といえども名誉欲、虚栄心で不評を買う。これも欲望の制御が難しい現実の姿である。

よくヨガの訓練が進んでくると、食欲が減って大食いをしなくなるという話を聞く。人間の欲望の突極の制御は難しいが、まずはできることから始めるといいと思う。節食、少食、腹八分目、節酒、魚菜優先等々から始めるといい。本格的な修行ができないから霊性が進歩しないなどというのは嘘で、我々の現実の生活の中でそれを実行していく道を選択すればよい。私が教えを受けたクンダリニヨガの先生は。よく「超作」という言葉を使ってそのことを言っていた。「超作」とは要するに、人事を尽くして天命を待つという態度を日常生活の中で実行しなさいという事だと私は解釈している。私見だが、それを実行する方が、つまらない開運法(その道の専門家の先生には失礼かもしれないが)よほど開運につながる。カルマを乗り越える行為こそ世俗の開運法にまさる開運方法であると固く信じている。

インド占星術の代表的な開運法である宝石療法の第一の視点は第1室を強化することにある。第1室は健康、体質、先天的運の強さを示す部分である。従って、本質的な健康体を築くことが実は運命の強化につながるのである。本質的な意味での肉体及び精神の健康を築く、個々人がなすべき努力の方向性とタイミングをよく自覚するインド占星術のホロスコープはこれを明確に示してくれる。そうすれば過剰な欲望ももたないし間違った方向での行動もしなくなる。)、その上でカルマの限界の範囲内で上手に運命改善法、開運法を善用する。開運法の細かい技法を知る前に、このことをよく認識しておいた方がよい。そういう前提条件があるなら私自身も真剣に開運法を勉強もするし罪の意識なく教えることもできる。

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カルマと開運法についての考察(1)

古代中国の韓非子の一説より生まれた故事成語に「矛盾」という言葉がある。楚の商人が「どんな盾も突き通す矛」「どんな矛も防ぐ盾」を売っていた。それを聞いた客から「それではその矛でその盾を突いたらどうなるか」と質問され、返答できなかったという話である。転生輪廻(これを信じなければインド占星術は成り立たない)と過去世の行為の結果としてのカルマを前提するインド占星術と世俗的な開運術とは相矛盾する要素がある。そもそも幸福に関する考え方が違う。インド占星術の基になるヴェーダ哲学では幸福をこの世限りのものと考えない。インド占星術の中にスピリチュアル占星術という非常にディープな占星術がある。世俗の幸せという立場から凶とされる要素を持つ人は、転生輪廻の考え方に照らせばむしろよいという精神的思想である。凶意の強いホロスコープの持ち主は世俗の人生では困難苦労の多い人生を歩む。しかし、その苦悩故に自己を深く見つめカルマを解き放つ機会をもつ。つまりそれだけ霊的な進化を促進される。逆いうと苦労や葛藤のない人生は人間を霊的に進化させない。そういう人は今生では多少幸せかもしれないが、来世、来来世ではその分しっぺ返しをくう。だから苦労の多い人生を歩む人は転生輪廻的に考えるとむしろいいのだとスピリチュアル占星術は言う。

カルマとは行為の結果という意味であるが、仏教でいう一番深い部分の意識を阿頼耶識という。その阿頼耶識が蔵している種子からこの世の諸現象が生じそこから生じた諸現象がまた阿頼耶識に新たな種子を与えると仏教では説く。これこそがカルマの根源である。カルマは現象化しない限り火種がなくなることはない。だから悪しきカルマを持つ人は人生において様々な苦労困難を体験して苦しむ。カルマを浄化するには、まず瞑想により阿頼耶識レベルの深い部分の自我に目覚めること、そしてそこからの執着煩悩から解き放されることである。そのために瞑想とそこに至るまでの神仏の保護の力としてマントラを唱える。また執着煩悩から自我を解き放つために、善なる行いや陰徳を積み自我を執着から解き放つ。それ以外にカルマを消滅させる方法はない。諸々の開運法はこうした悪しきカルマが現象化することを一時的にストップさせ先延ばしにする方法であって、カルマそのものが消滅するわけではない。まずこれが根本の考えである。

しかしながらそれでも人は今生で幸せになりたい気持ちを捨てることはできないから苦悩し、宗教的指導者に教を乞い、占い師の門を叩くのである。これにどう対応するか、ただヴェーダ思想に従えというだけでは問題は解決しない。そこまで大多数の人間の機根はで成長成熟していない。それこそ現世的に直視しなければいけない問題がある。(続く)

 

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命占と卜占の使い分け

最近、何人かの占いの先生が、命占と卜占の違いについて論じていた。命占とは要するに誕生日によりその人の性格、宿命、運の流れをみていく占いで、西洋占星術、インド占星術、四柱推命、紫微斗数、宿曜経等々がこれに当たる。卜占とはある行動を起こす時、それが吉か凶か結果そのものをズバリ見ていく意思決定のための占いである。周易、断易、六壬神課、タロット、ホラリー(西洋占星術)、プラシュナ(インド占星術)等々である。もっとも一口に命理系占術といっても紫微卜占、紫微風水といった使い方もあり、相術或いは開運法と思われている奇門遁甲にも奇門命理というような使い方もある。だからそのように命占、卜占と分ける事に自体意味がないとする立場の人もいる。しかしそう屁理屈は言わずに一般的にどちらを中心に使うかということで分けてもいいと思う。

それでは一つの事柄を占う時、命占と卜占の結果が一致する場合は問題ない。では違う結果が出たらどうするのか、どちらを優先するべきかということである。これもいろいろ見解があるが、そういう場合は、卜占を優先させるというのが一般的な見解だと思う。

私個人の意見を言わせてもらうならば、そもそも命占と卜占は使い方も占いの対象もちがうので併用することはまずない。命占はその人の一生の運の流れをみるもので、「落とした財布が見つかるかそしてどこにあるか?」とか「A選手とB選手のどちらが勝つか?」などは卜占の占いの対象である。逆に、卜占の場合はあまり大きな対象や中長期にわたる事象はみない日本国の運命だとか10年後の日本は?などというのは卜占の対象ではない。卜占が対象とするのは、せいぜい1年以内の身近な具体的な出来事に限られる。それから正確な誕生時間が分からない人というのも時々いるので、そういう時は卜占、手相人相等の相学、気学遁甲等他の占いを総動員するしかない。

だが、事柄によっては占いの対象は重なるものもある。ある人が結婚するかどうかを見る時は、その人の運気からみて結婚の流れにつながるかどうかは大運、年運、トランジット、プログレス、ダシャー等々をみていけば大体推測はつく。しかしながら、その人の誕生日だけではどうにも現在の運気や吉凶の状態が分からない時もある。それはお前さんの腕が悪いからだと言われればそれまでだが、吉凶が複雑に入り組んでいて解析判断が難しい場合は実際にある。

そんな時、まず他の命占で見てみる。占術にはそれぞれ得手不得手があって、ある占いでは曖昧でも別の占いでは実に明瞭に出ることがある。それでもわからなければ卜占を行う。命占だけでどうしてもわからない時は致し方ない。私はそういう時はプラシュナか周易を使う。そして最終的には卜占の結果を優先する。

そういう意味では一つの占術に専念してそれを極めることはもちろんもいい。実際、そういう人はよい腕をしている。あれこれ中途半端にかじる占い師より当たる精度ははるかに高い。鑑定依頼者の真のニーズはこちらにある。でも複数の占術を駆使して多面的に見た方がよい場合もある。それもバランスの問題だ。世の中には多岐にわたる占術をつかう占い師がいる。よくそんなにいろいろできるなと感心する反面、人間のもつ時間や能力には限界があるわけだから、本当にできるのかな、どうせ中途半端な薄いものでしかないと疑心暗鬼になる面と両方ある。私も命占、卜占、相学、開運法等それぞれ2つずつくらいならできるが、それで精一杯である。それ以上はちょっと困難だし芸が荒れるだけだと思うのでそれ以上広げる気はない。

こういう総合的な占術の使い方、区分けの仕方のスタンスをどこに置くかというのも占い師としてまた大切なことだと思う。

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